フロムの教え
無意識のものを意識することは、人の意識を拡大することにつながり、現実により多く触れることであり、この意味で真実に触れるということを意味する。(うんうん、それそれ(笑))
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臨済宗の開祖である臨済は「赤肉団上に無位の真人あり」と言った。赤肉団上とは五体五感のこと。弟子が聞いた。「無位の真人とは何ものでござるか」臨済は彼の胸ぐらをひっつかんで言った。「さえ言え、さあ言え」弟子が唖然としていると臨済は言った「この無位の真人、なんと糞の役にも立たぬわい」無位の真人とは臨済独特の言葉である。(臨済ボス(笑))
View Article森田が調べた臨済の教え1
赤肉団上に一無位の真人有り――赤肉団はお互いの肉体のことだ。切れば血の出るこの肉体のことだ。朝から晩までブラ下げておるこの肉体の中に、一無位の真人有りだ。
View Article森田が調べた臨済の教え2
何とも相場のつけようのない、価値判断のつけようのない、一人のまことの人間、真人がおる。仏がある。一人ずつおるのじゃ。皆の体の中に一人一人、無位の真人という、修行したこともなければ、修行する必要もない真人が一人おる。
View Article33.2度
隣の土丸出しのところは37.1度でした。今度は黒シートのところを測ったら、なんと33.2度で丸出しより4度も低かったのです。これは作物にとっては良いことでしょう。
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社長でもなければ社員でもない。位のつけようがない。偉くもなければ馬鹿でもない。世間の価値判断で何とも価値を決めることのできん、霊性というものがある。主人公というものがある。仏性というものがある。正法眼蔵というものがある。本来の面目というものがある。
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なにものでものない。。世間の価値判断で価値を決めることのできない霊性。。主人公。。仏性。。正法眼蔵。。本来の面目。。ないとあるが、同居している感じだなあと。。
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お題とちょっと違いますが、開祖の臨済のボスさんなので、聖徳太子が送った遣唐使10人のひとりかなと書いたことがあります。平仮名はまひろたちの時に出てきたというので、ボスさんの文章を見てきて平安時代以降の人かもと思いました。で、霊性というものがあると・・時代によってかわる価値観を感じたりして、このようにお考えになったのかなあと。。時代に左右されないみたいなものかも・・と思いました。「(レスする」の件、了...
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調査めちゃめちゃすごいです。無位の意味がめちゃわかりやすいです。。かぐや姫のようなこの世の権力や地位のない世界そのものかも。。赤肉団をぶらさげいてる真人は、三次元でははかれない霊性とか。。主人公とか。。仏性とか。。正法眼蔵ってネットでみたら禅の本かも。。本来の面目も禅の世界みたいな。。。臨済ボスの世界めちゃ広いです。。それを何とか弟子に伝えようとしたのだなと思います。。もりけんさんはさらにそれを詳し...
View Article森田が調べた臨済の教え4
肉体的には肥えた人もあればやせた人もある。金持ちの家に生まれたのもおれば貧乏な家に生まれたのもおる。学校を出たとか出んとか、履歴がついておる。 この肉体の中にそういうことを一切離れた、無修無証、修行することもいらんが、悟りを開くこともいらん、生まれたまま、そのままで結構じゃという 立派な主体性があるのじゃ。
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臨済の教えはほとんどこの”人”または”道人”とも言われている人格を中心としたものと言って良い。志那禅宗思想史上において、この人(にん)を我々人間の生活活動のあらゆる面に活動せしめよと強くとなえたのは、臨済をもってほかにいない。真人すなわち真の自己とは、有限な相対の世界に属するものではない。(臨済はすごいんだ・・)
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臨済の人(にん)すなわち人格、自己を中心とする部分を臨済録から考えてみよう。この中で臨済は彼の人思想というものを非常に雄弁に徹底的に表明しているので、これによって禅における自己とはいかなるものかを理解する上に大いに役立つものと私は思う。それは悟りに繋がる。(おお、サトリの原本かも)
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