鈴木大拙の教え
剣道の達人、柳生但馬守は次のように言っている。『ものごとを心に留めぬこと、滞りないサラリとした動きなのである』心がどこかに留まると、流動が止まってしまう。(まるで流れるようにって・・(笑))
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心がどこかに留まり流動が止まってしまうと、人間本来の般若の知鏡を曇らせ、本来の自由な働きを不自由なものにしてしまう。この般若の知を沢庵和尚は不動知と呼ぶ。これが意識の領域で無意識に働くのである。(流れを止めてはイケナイって難しいかも(笑))
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社会的機能が内面化され、彼かがなさなければならないというよりも、彼らがなすように迫られると感じるように、内面化されなければならない。なぜなら社会はこの型からの逸脱を許すことができないからである。(フロム、すごいです。社会と人間をよく考えてます)
View Article森田君(笑)
明日から三日間でアップする内容は、僕が19才の当時、この本を読んで、線を引いた部分です。今見れば「へー、こんなところに感動したのか」と思い出しますが、やはり「そうだよね」と思わせる部分でもあります(笑)。
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禅における実在のつかみ方は前科学的であり、時には反科学的であるというのは、つまり禅はその動き方がまったく科学が追究する方向とは逆であるということによる。(はい、科学は意識の世界ですし)
View Article森田君(笑)
鈴木大拙の言った,科学こそ視野を広げろという言葉は、その後の私に大きく影響したのです。明日アップするフロムの言葉も、当時の僕が線を引いています。実はけっこう感動した部分です。
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なぜに個人は”禁じられた”衝動に気づかないようにするのであろうか。簡単に言うと彼が気違いになろうとしないかぎり、彼は他人となんらかの仕方で関係を持たなければならないからだ。(バリバリ自由からの逃走です)
View Article森田君(笑)
人は仲間はずれにされたくないとフロムは言ったのでした。明日とあさっては鈴木大拙ですが、またまた僕が線を引いています。とっても大事な事が書いてあります。今読んでもそう感じます。
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科学はどの分野も一様に外に向かっており、いわば遠心的であるし、物を取り上げて研究する場合、その物に対して客観的にこれを観察せんとする。(外しか見ていないかも)
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つまり科学の立場は自分自身から物を引き離していく立場であって、決して見るものと見られるものが一体になるといった方向を取ろうと努めることではないのである。(はい、科学は客観を売りにしているので)
View Article森田君(笑)
鈴木大拙は、科学は客観的をウリにしていると言っていました。科学は再現性がキーなので仕方ないです。あさってフロムの言葉をアップしますが、19歳の僕が線を引いて「その通りだ」とメモ書きしています。はい、僕がフロムに出会った最大の衝撃がこの考え方だからです。
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