フロムの教え
一般的に言えば、ある言語が言葉を持っていないような経験はめったに気づかれることがないと言って良い。(おお、単語が存在しないと、その経験も経験として認知できないんだ)
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無意識はじかに、まっすぐ意識の領域にはたらきかけなくなってくると、従来は生理的に本能の働きに託されていたいっさいの行為が意図的な、知的な命令によって動くものとなってしまうことになる。(普通、人間ってこれだよね(笑))
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雨が降ると言ったとき、私が雨の中に出ていて濡れたから雨が降っているというのか、小屋の中から雨が降っているのを見たからであるとか、人が雨が降ると私に告げたのか・・知的な面を強調する現代の文化においては、いかに事実を知ったか、たとえば直接の経験からか、あるいは伝言からかは、大して相違を生じない。(はい、そういうもんです)
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この変化は、バイブル的神話の表現を借りれば、“知恵の実を食った”ということになる。仏教一般から言えば、“煩悩”と言い、あるいは心作用が分別離によって乱されると言う。(知恵の実はなんと無意識の邪魔・・)
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言語の他に、フィルターの第三の面は経験の「内容」である。いかなる社会も、ある思想や感情を、考えられ感ぜられ表現されることから除外するのである。(無意識へのフィルターだ・・)
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この一人前の成人した人間が禅に出くわす。禅いわく『自己を洗い去れ。もしもお前さんが本当に人間の自由と自主性を味わいたければ、お前さんの心の汚れをすっかり拭い去って、知恵分別の感乱脱却して来い』(自己を洗うのは大変そうですが(笑))
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『心の汚れをすっかり拭い去ってくれば、もはや恐怖、不安、心配といったものに攻め立てられる余地はなくなってしまうのだ』(うーん、汚れを落とすのは大変そう(笑))
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この脱却が獲得せられる時こそ、実に意識の全領域に修練された無意識が働くのである。ここで初めて不生が分かり、従って平常心が我が物になるのである。(はい、心の洗濯、トライします(笑))
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“社会的性格”という概念を述べなければならない。いかなる社会も存続のためにそのメンバーの性格を彼らのなさねばならないことをなさんとするように形成しなければならない。(これも自由からの逃走だぁぁ(笑))
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