フロムの教え
彼が動物であれば死ぬことを最も恐れるが、彼が人間である限りにおいて彼はまったく一人であることを恐れる。この恐れがタブーにされている思想に気づくことを許さない力強い要因である。(その通りだ)
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仮に、自分の内面を見つめるというような場合にあっても、科学者の立場は必ず内部のものを注意深く外部に取りだして、内部のものはあたかも自分のものではなく、外部から自分と無関係に与えられたもののごとくこれを自己から疎外されたものとして扱うのである。(客観なのでそうなってしまう)
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かくのごとくして、我々は意識と無意識は社会的に条件付けられたものであるという結論に通じる。(社会的に条件付けられた)言語、考え方およびタブー(社会的性格)の三重のフィルターを通ることを許されるすべての感情に私たちは気づく。(うーん、フィルターは多い)
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科学者の手法を取ると、我々は真の自己そのものを知ることは不可能であるということを意味する。だから科学者たちはいかに努力しても真の自己を把握し得ないのだ。もちろん科学者は自己とは何かについて思う存分意見を述べ得ることは疑いも無いが、ただそれだけである。(うんうん、言えていそう)
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子供の頃の両親の制約は大きい。両親から”捨てられる”ことを恐れる子供は、両親のフィルターを持つ。他方において開放性が大きく、抑圧の少ない両親は、社会的フィルターを広げる。(フロム、言えてます)
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なんとかして真の自己を把握したいと念願するのならば、この科学が追究する方向をいっぺんヒックリ返さなければならぬ。すると初めて自己が内面から把握される。決して外側からではない。(はい、不思議研究所はそのひとつのつもりです(笑))
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水をくみ上げることができましたぁぁぁ。雨が降らない時期、これでタンクを一杯にすることができます。北西の農夫が驚いて見に来ました(笑)。だって用水路との高低差は3メートル、ホースの水平距離は30メートルです。
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両親以外のフィルターはもっと複雑な現象に関するものである。我々は社会的な思考の型と相容れない意欲に気づくことを抑圧するだけでなく、”ヒューマニズム的良心”も抑圧しようとする。(フィルターばっかだ(笑))
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自己知とは主と客が一体となって初めて可能なのだ。これは科学者が科学的研究をしつくしてしまって実験用の道具いっさいを放下したあげく、もうこれ以上研究はどうしても続けることはできない、この上はただもう絶対の主体性の領域そのものの中に飛び込むという離れ業をやってのけるより仕方がない、と告白するときなのである。(道具を捨てなくてもいいと思うけど(笑))
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絶対的主体性領域とはすなわち自己の棲家(すみか)である。”棲(す)む”というのも厳密に言えば当たらぬ。なぜかと言えば、棲むというのも自己の静止した姿のみを指摘するからである。自己とは絶えざる流動であり変化である。(すんでない(笑))
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まったく人間的でなくなることもまたおびえさせる。ただ歴史的な証拠は、全社会が人間的でない行動の基準をとったときに社会的に追放されるよりは恐ろしくない。(社会的追放が一番恐ろしいのかも)
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静的に見た自己はゼロである。しかし動態面は無限なのである。この無限とは片時の間も休めることがないという意味が含まれている。自己とはダイナミックなのである。(はい、なんとなくそう思います)
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