フロムの教え3
この真の反応の行為に創造性の領域、世界を如実に見、そしてそれを私の世界として体験する領域が存在する。その世界というのは、私の創造的な把握によって創造され変容され、このようにして「かなた」にある無縁の世界であることをやめて私の世界になる。(やはり意識と無意識のやりとりかも)
View Articleフロムとジジイ
学生の時に読んだ、フロムと鈴木大拙の共著を抜粋しています。当時私はフロムを中心に読んでいました。彼の愛の思想が随所に出てきます。鈴木大拙は「こういうあんばいに」とか書いて、当時私は「はぁ?状態」でした(笑)。でも書き出していて、とても懐かしいし、楽しいです。明日からも続けます。
View Article鈴木大拙の教え8
我々の制約された意識は、−−制約を知る限り−−我々をいろいろな悩み、恐怖、不安に引き込んでいく。けれども我々のこの意識というものが、何か我々の自己に非常に親しい何か−−と言ってもこの何かは相対的にものごとを新式するようには知られないように何か−−の中から出てくるのだということにいったん気がついてみると、今までに悩んできたあらゆる形の緊張から解放されて、まったくの安楽の境地にある自分を見いだすのである...
View Article生命の不思議、しいたけ
ホダ木をトンカチで叩くと、ニョキニョキ出ます(笑)。5万ボルトの電圧を与えても、ニョキニョキ出るそうです(笑)。僕は水をかけるとき、強く噴射するように与えています。
View Articleフロムの教え4
最良の状態(Well being)は、最後は、自分の我を捨てることを意味する。自分の自我というものをただ保存すること、在るという働きにおいて自分の自我を経験することを意味する。(自我は変化に任せる…みたいな)
View Article鈴木大拙の教え9
これを経験すると、自己自身の心がなごやかで安らかなばかりではなく、自分のいる世界すべてが安らかなのである。これを宇宙的意識と呼びたいのだが、いかがだろうか。(宇宙的意識では主人公は宇宙全体のような(笑))
View Article生命の不思議 フェイジョア
こんな綺麗な花なのに、蜜がないとネットには・・。しかも花そのものが美味しいとは・・。ヒヨドリが飛んで来てムシャムシャ食う(笑)。人間の男女も物質的な蜜はない、なんか似ている?(笑)
View Articleフロムの教え5
ここでは精神分析と禅仏教の関係を取り扱っている。人間は彼の存在そのものによって、問いかけられているということを述べ、これは彼の内部における矛盾−自然の中にありながら、同時に自然を超越するという矛盾によって、掲げられたものであるということを述べた。この問いに耳を傾け、この問いに答えることが必要なのだ。(矛盾を矛盾でなくする必要はないかも)
View Article鈴木大拙の教え10
またこれは無限の可能性の源泉であって、このあふれる泉によって芸術家といわれる芸術家はどれもこれも、自己のインスピレーションを精彩あるものにするのだし、また芸術家ならぬ一般の我々の人間が、一人びとり自分の生まれながらにして与えられいる五官五体によって、おのおのの生活を転じて芸術家のエキスたらしめることが出来るのである。(肉体も大事かも(笑))
View Articleフロムの教え6
自然の中にありながら、同時に自然を超越することを、思考においてだけでなく全人として”究極の関心事”とする人は、本当の意味において”宗教的な人”である。(ははは、宗教的って(笑))
View Article鈴木大拙の教え11
禅の師匠は言う「考えたらもはやそこにはいない。考えるのではなく、じかに見て取れ。アレコレと思い迷ったり、頭で解釈するんじゃないわい」と。(うーん、僕はアレコレ迷います(笑)。問いがなくなったほうが怖い(笑))
View Article生命の不思議 サラダかぼちゃ
種を蒔いたとき、まさかこの畑一面に広がるとは思ってもいませんでした。苗が可愛く植えられていますが、これがどんどん成長するのです(笑)。家庭菜園について何の知識もないことが面白さを倍増しているかも(笑)。
View Articleフロムの教え7
宇宙からの問いに耳を貸さない人の一番良い例は、現代に生きる我々自身である。我々は威信、生産などの関心により、究極的には我々−その自我−が存在するということを忘れようとすることによって、問いを回避しようと試みる。(宗教に答えを見いだしてしまうのかも)
View Article鈴木大拙の教え12
この禅の生粋(きっすい)、そのホンノチョットしたことが、我々人間のくだらぬ生活、平々凡々の毎日、何の生き甲斐もない日々の繰り返しを、一挙に転じてひとつの芸術と化する。この転化した日々こそ、ほんとうの内的な創造性がそこにあふれこぼれているではないか。(ホンノチョットしたこと…カタカタ的がいいかも(笑))
View Articleフロムの教え8
現代人がいかにしばしば教会に行こうとも、いかに多く彼が宗教的な観念を信じようとも、彼すなわち全人がこの存在の問いに耳を貸さないならば、これに対してなんらの答えを持たないならば、彼はただ時を刻んでいるにすぎない。(下位の問いを、人はなかなか持たない)
View Article鈴木大拙の教え13
これは科学的探求以前のものである。こいつはどうも科学的に装置された分析の編目でもってすくい上げるわけにはいかぬもののようだ。無意識というものを禅的にいえば、これは明らかに不可思議で、不可得であるから、前科学的というか、非科学ということになる。(世の中では、無意識はどうでもよい存在になっている)
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