教科書の続きです。
「与えることは犠牲を払うことだから美徳である、と考えている人もいる。そうした人たちに言わせると、与えることは苦痛だからこそ与えなければならないのだ。彼らによれば、犠牲を甘んじて受け入れる行為にこそ、与える美徳があるのだ」
はい・・。
自分の中を愛で満たしてから人を愛するという論理の中にもこれは感じられます。
なぜ自分を愛で満たさないと人を愛せないのでしょうか?
それはたぶん、与えるということの誤解から来ているのかも知れません。
なぜなら自分の中に愛が満ちていないと与えることすらもできないと考えがちだからです。