高校の紛争の時、三年の二学期はほんとど授業はなく、クラス単位の話し合いばかりでした。
ところで多くの紛争高が制服の自由を掲げて学生運動に入りました。
でも当時、私の高校は都立高校では唯一服装は自由で、出欠も取らないという自由高でした。
だから教職員も紛争は起こらないと思っていました。
ところがそんな高校にでも不満を見いだすことができたのです。
生徒総会でストライキが可決され、紛争に突入したのです。
と、こう書けばこれを読んでいる皆さんの多くは否定的に捉えると思います。
でも、次のように書けばどうでしょうか。
「ところがそんな高校にでも改革すべきことを見いだすことができたのです」
改革という言葉が入っただけで肯定的に捉えるのではないでしょうか。