昨日までは事実を書いてきましたが、きょうは私の主義主張を書きます。
私の高校時代、学生運動が吹き荒れてストライキもありましたが、私は非改革を訴えました。
私を支持する人はほとんどいませんでした。
ほぼ全員が改革派でした。
改革派というのは他動詞的だと思いました。
私が主語で、そのあと動詞があり、最後に目的語があります。
つまり「私が世の中を変える」です。
こうでありたくないというのが私の主義主張です。
では、どういう形ならいいのでしょうか?
自動詞的が良いと思います。
世の中は自動的に変われば良いのです。
ここで生まれ変わりの村の情報をひとつだけ取り出します。
スープの情報です。
たったこれだけでいいんです。
あの世には光の存在がいるとかいないとか、二次的なことです。
裁きがあるとかないとか、二次的なことです。
来世を選べるかどうかも、二次的です。
あの世は人によって違うというのも、もちろんオーケーです。
なぜなら、これらは自動的に解決していくと思うからです。
スープを飲まなければ前世の知識もあの世の出来事も持ち越せます。
すでに日本人の中には出現しつつあります。
スープの情報が科学者に広まれば、あの世の解明が進みます。
宗教で言っていることが正しかったか、自動的に分かります。
そして世界は自動詞的に変わります。
私が変える必要はありません。
情報が変えてくれます。
私はノードにしかすぎません。
でも時間がかかります。
私が生きている間は大きなは変化ないでしょう。
300年くらい先だと思います。
それでも、世界は自動詞的に変わるべきだと思っています。
これが私の高校時代から変わらない主義主張です。