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オンリーワンは?

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 ナンバーワンに対してオンリーワンという概念があります。
 ナンバーワンでなくてもオンリーワンでありたい・・というような。
 でもこれは「自由」や「愛」と共に西洋から輸入された考え方のような気がします。
 西洋人はイエスノーをはっきりと言います。
 オンリーワンであることが誇りみたいです。
 しかしオンリーワンであることを誰が認識し、評価するのでしょうか?
 誰もしないような気がします。
 自分自身でオンリーワンだと評価することは、少しイヤらしく感じます。
 私はみなさんとは違うんだ・・と言っているようだからです。
(続く)

物差し

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 ナンバーワンでもなくオンリーワンでもないとすれば、どうすりゃいいの?
 問題は「物差し」ではないかと思いました。
 色々な分野に物差しを感じるのです。
 学業で言えば偏差値です。
 社会に出れば、営業成績とか開発成績です。査定されてボーナスに反映されます。
 私たちは一生、物差しの中で生きていると言えそうです。
(続く)

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 江戸時代、物差しは固定されていたと思います。
 士農工商という身分は偏差値で決まるわけではありませんでしたから…。
 当時、諦めるしかありませんでした。
 しかし諦めることで人間の感性は、周囲に向いたような気がします。
 お互いに助け合う基盤は江戸時代にできたもかも知れません。
 物差しという概念は自由競争から生まれたものだと思います。
 お互いの「差」を計る必要があるからです。
 オンリーワンという概念も「差」から出てくる言葉ではないでしょうか。
(続く)

基準…自分か世間か

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 物差しには基準が必要です。
 自由という概念が西洋から輸入されたことはすでに書きました。
 それでも、西洋と日本は違うと感じます。
 西洋の基準は自分だと思うのです。
 つまり、西洋はオンリーワンの価値観が強いと思います。
 日本の基準は外部だと感じます。
 世間に合わせることがヨシとされます。
 オンリーワン的ではないんです。
(続く)

周囲に合わせることはデメリットか?

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 基準が固定されているか、いないか?
 西洋は自分に基準があると書きました。
 それは環境による変化はないと感じます。
 どんな場面でも一貫性を持った自己であることが要求されます。
 なぜならイエス・ノーをハッキリ言うからです。
 ハッキリ言ったことには責任を持たなければなりません。
 でも日本人は違います。
 イエス・ノーをハッキリ言わないばかりか、周囲に合わせる傾向があるので、一貫性が無いと言われます。
 それは本当にデメリットでしょうか?

コロコロ変わる僕と変わらなかった強硬派

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 僕の高校は僕が三年の時に紛争が起こりました。
 二学期の大半の授業が無くなり、期末テストもありませんでした。
 毎日毎日、話し合いです。
 僕は言いました。
「一晩考えたんだけど、考えが変わりました」
 クラス中からドッと笑いが起こりました。
 コロコロと変われるが僕の特徴でした。
 四分の一世紀ほど経ったとき、その高校の教師が当時を振り返った本を出しました。
 こんなことが書かれていました。
「改革を強行に進める生徒たちは、初めから終わりまで言っていることが同じだった。そんなことってあるんだろうか?」
(続く)

一色君

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 紛争の本を出した教師は、本の中ではすべて仮名を使っています。
 たとえばいちばん長老の教師は「浦島先生」(笑)
 浦島先生はそのまま亀に乗っても似合うようなルックスでした。
 そして改革派のトップの生徒には「一色君」という名前を付けました。
 一色君は××高校全共闘委員長を名乗っていました(××は僕の高校名)。
 なぜ「一色」という名前にしたのか・・。
 本の後半でわかってきました。
 一色君はビラを出していました。
 文章の最後に「文責一色」と書いてありました。
 そのビラをすべて保管していた教師(本の執筆者)は気づきます。
 紛争の開始時から終了時に至るまで、出したビラに書いてあったことが一字一句同じだったのです。
 脱線しますが一色君はE組所属でハンサムな男子でした。
 僕のクラスC組の中にも「一色君て素敵ね」という女子が出てきて、僕は彼女に向かって反論したことがありました。
「あんな男子のどこがいいんだ?」
 その子はとうとう泣き出してしまいした(爆)
(続く)

一色君の文章

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 以下は教師の書いた本の抜粋です。
「一字一句違わないことは、一色が誰かの文章をそのまま転載したことを物語っている。もしもこの文章を一色が書いたのなら、二月に再びこの総括に載せるときは、文章のあちこちを手直しするはずである。このことは自分の書いた文章を清書した経験を持つ者なら納得するだろう。
 これは一色達がこの教育論をあまり学習しなかったことを物語っていると言えるだろう。もうひとつ、一色たちが、反代々木系セクトのお兄さんの理論を聖書のように信じて、俺たちはこういう理論を持っているんだぞと、学友たちに見せびらかしているようにも受け取れる。
 反代々木系セクトの文章は抽象的で難解である。一色をはじめ全闘委の生徒たちが、文章が難解で抽象的なセクトの理論を信仰したのは、無理もないところである。
 つまり教祖と信者の関係を作り上げていったのであろう。そしてこの関係は、信者の自立を妨げたのだった」
 本の抜粋は以上です。
 でもこれは、スピリチュアルの世界でもありそうです。

輸入

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 崇高な目的なら何でもよかったんです。
 みんな社会を変えたかったのです。
 地球を進化させたかったのです。
 自分の高校がその発信源になりたかったのです。
 一色君はコピペしました。
 言い方を変えれば、「輸入」したのです。
 でも輸入された自由や愛を高らかにうたう人たちと似ていませんか?

コピペ

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 生きがいのひとつに「周りを変えたい」というのがあると思います。
 対象は、地域だったり国だったり地球だっり銀河系だったりします。
 自分が生まれて、この世に存在した軌跡を残すのが目的とも言えます。
 これが私の高校紛争の原因でした。
 大学にいくとセクト化しました。
 でもそのセクトだって数えるくらいしかありません。
 同じことは現代でもあります。
「地球環境を良くするためにみんなで協力しよう」とか。
 人は全員違うはずなのに・・。
 だとすれば、コピペではないでしょうか?
 一色君を批判した教師に言いたいです。
 あなただって、教えたことは、みんなコピペでしょ?・・と。

イエス・ノーをはっきりという人

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 全校集会で壇上に立った一色君はイエス・ノーを即答していました。
 しかし僕をはじめとする他の生徒は最初、混とんの中にありました。
 あいまいな答えしか出せないでいました。
 先生の本にこんな記述がありました。
「一色たちが、反代々木系セクトのお兄さんの理論を聖書のように信じて、俺たちはこういう理論を持っているんだぞと・・」
 イエス・ノーをはっきりという人は、自分を持っていると言われます。
 はたしてそうなのでしょうか?

昼と夜両日参加しました。

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ピエール君を持ってきた設定、青年ダヴィデ君との組み合わせはすごいです。ダヴィデ君がでてきたときはただ笑っていましたが、改めて今考えると深さをかんじました。でも重くありません。いろんなものが出てきて良くワカラナイ映画です。自分の中のもやもやしたものを刺激されているような気がします。これがわたしと無意識との関係性なんだなと思いました。最初に出てくる地球には影があり、はっきりとラインがあるのを見て何だか嬉しくなりました。

>「和」プレミアム上映会感想

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もりけんさんのお肌がつやつやでピンクのタートルと紺のジャケットがばっちり似当てて、やられました(笑)メイドさんたちの歌と踊り、そしてハローCQの歌の間奏に監督が手拍子と笑顔で飛び込んできてくれた姿にさらにやられました(笑)出演者との対談はメリハリがあって、次々と相手も話題も切り替わっていくスピード感がめちゃ心地よかったです。もりけんさんトークでは荷物を自分でもってこられて、時間厳守って時計を出されてるのがキました。水を飲んでるときも話してるくらいのマシンガントークは、すごかったです。その熱気がばんばん伝わってきて圧倒されまくりで、超カッコイイ。。。としびれてました(笑)表情もくるくる変わって、大笑いしたり、スルドイ視線を向けられたり、相手の反応とか観客の反応とか、周りからくるモノに全開で反応してるみたいでめちゃくちゃ釘付けになりました。そのあとすぐに始まった和の場面転換のスピード感はすごかったです。見終わったあとに、何ともいえない感覚になりました。普通の映画とは違って問いかけられ続けたからかもしれません。自分の中でわき上がってくる感覚は、とにかくデカイ視点を感じました。ジャンル分けされてないのもそうです。インタビューでのこたえがそれぞれ違って一つの方向性になってないのもそうです。途中で出てくるスライドの問いかけもそうです。これほど拡散されていくような感覚も、意識でまとめることができない映画も初体験です。自分の小さな視点をガンガン超えていくような映画だって思いました。そこには現代日本の文化も登場するし、ハムも登場するし、アニメも登場して、いろんな分野で活躍する方たちから一般の方たちまで多種多様な方たちがたくさん登場してきます。それがひとつの映画の中に同時に存在してることに感動しました。うまく言えないけれど、観客たちもそうで、年齢層も男女もばらばらで本当にいろんな方たちが集まってこられてるのを感じました。それぞれがみんなもりけんさんの映画を見に集まってこられたんだって思います。そんなさまざまなファンを引きつけてるもりけんさんの視点がめちゃくちゃデカイから。。。そう思いました。映画にもそのデカサがそのまま表れてるのを感じました。自分ではとてももつことのできない視点がふんだんに盛り込まれてて、そうとは気づかなくても無意識ではキャッチしてるのかもしれなくて、だから何か意識ではうまく説明すらできない感覚になりました。今まで味わったことのない感覚です。プレミアム上映会を開催してくださったこと、もりけんさん、映画会社さん、出演者の皆さん、スタッフの皆さん、本当にありがとうございました。その場に参加できたこと、その場に集まった皆さんと一緒に映画を見ることができたことがとても嬉しかったです。

「和」プレミアム上映会感想

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「和」プレミアム上映会へ参加させて頂きまして、トークショーでは、無意識がデジタルになりますことを大変深くお話して頂きました。日本では、不安定な気候のもとで耕作が行われて、作物の実りもどのようになるかは分からないことで、これがデジタルになりますということを伺って、すごく深くて、これまでには無かった視点を伺っていますと思いました。日本が辿ってきました歴史も、このようにデジタルなもとで人々は生きてきていますということを思いました。物理方程式がアナログでありますということも、これまでには考えたことは無かった視点で、数式というのは綿密に計算が行われていますということで、これまでにデジタル的なものと捉えてきていました。でも、日本で方程式が西洋のように発達してきましたということが無かったことも、日本の気候での農業のように、いつ何が起こるか分からないもとでデジタル的でありますことで発達をしますことはありませんでしたということも、すごく深くて、鋭い視点を伺わせて頂いていますと思いました。自分自身は、アナログと、デジタルとの違いをこれまでによく分かっていなくて、漠然としてしか考えることは出来ていない自分にとって、デジタルの本質へと根源的に迫られていますお話を伺わせて頂く機会を頂いていて、すごく貴重な機会を頂いています。

「和」プレミアム上映会感想

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ステージの上のとっても可愛くて、ミニの衣装もドキドキなメイドさんたちが、日本の「和」ならではのデジタルな存在でありますことを、観客席から伺わせて頂きました。メイドさんの皆さんの一人、一人がメイドになれればいいなと思いますというもりけんさんの問いへの答えを伺って、ご主人様へとお仕えしていますメイドさんが、このままの姿でとても楽しくて、歌って踊って、もりけんさんも花道、舞台へとメイドさんの踊りと一緒に踊られています姿を伺って、デジタルとは、このままでどこまでも浮遊していて、好奇心をいっぱいに楽しく、開かれていかれていますと思いました。メイドさんたちのとても楽しい姿へ、日本の「和」の歴史が流れてきていますと思いました。このままで楽しいメイドさんの姿を伺って、自分もこのままで楽しくいれますことを思いました。メイドさんの楽しさから、すごく深くて、好奇心いっぱいの問いを私たちの一人、一人へと問いかけてきて頂いていますと思います。

「和」プレミアム上映会感想

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映画「和」はこれまでのドキュメンタリーとかフィクションとかの映画の枠にいなかったです。俳優さんが生でトークしていましたが、演技と言ってもずっと座っているだけで派手に動きまわらないので大変じゃなかったみたいに言って、それをスクリーンで見ているのにずっと座っているのは私も同じなのに映画の中に繰り広げられる世界はどんなアクション映画にもスケールのデカイ何億円賭けたっていう映画にも人間の情感豊かだっていう映画にも無い全く違うもっと大きなものを感じました。考えてみれば映画は観客に問いかけるのは主人公の生き方みたいなのが多いです。見終わって思うのは主人公の生き方の是非だけです。でも、意識と無意識の関係なんて本当に灯台もと暗し、そのことを本当に忘れて生きてきたと思いました。科学の分野でも「人は遅れて生きている」が実証されたのに、誰もそのことを認めたくない、認めれば自分のやってきたことをやったのは実は自由なんかじゃないということになる、地動説よりも生き方を問う以前のことなんだと思います。空手家のLZWさん、佐野さん、メイドさんを実際に見れて、話しを聞くのもすごく良かったです。森田監督がメイドさんの歳を問いかけて「永遠の17歳」を聞けて、みんなでおおーー、となりました(笑)そして森田監督が「僕は永遠の16歳」、主人公は実年齢が15歳でなんだか私、負けているって、思いました(笑)監督のもりけんさんがメイドさんの踊りや「ハローCQ」に乱入してきた時もすごく楽しかったです。インタビューの服装だったのもカッコいいです。

「和」プレミアム上映会感想

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もりけんさんのトークで、意識は無意識より0.5秒遅れていますという最先端の脳科学のお話を伺って、下條さんがこの研究を行われてきて、世界の人々がこの研究のデータを知りますことで、世界は本当にひっくり返ってしまいます情報を伺っていますと思います。「人は遅れて生きている」というすごい意識と無意識との関係を伺って、これまでにその体系のもとで生きてきています法律の体系も変わってしまうほどで、これまでに意識で何もかも決めて生きてきていると思っています自分も、常に0.5秒早い無意識のなせる技のもとで生きてきていますというすごい真実を問いかけてきて頂いています。映画「和」では、意識と、無意識との天秤が琴の音の流れと共に揺れています。これまでに意識を高めることで自分をアップできると思ってきて、意識の側へと、大変重きを置いて生きてきています。映画「和」で、もりけんさんが、意識と、無意識とが繋がっていきますことで、すごく大切な問いかけを、もりけんさんのインタビュー、ドキュメンタリー、アニメーションの随所で問いかけていて頂いていて、「和」を拝見することでこの問いかけを何度も考えさせて頂きます機会を頂いています。

「和」プレミアム上映会感想

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何をどう書いたら良いのかわからないのですが。。昼の部でまず驚いたのが、ヤクルトホールの建物前に行列ができていたことです。到着したのは11時半頃だったと思います。チケットを切ってもらって受け取ったのが、歌詞カードと「和」と「ワンネス」オリジナルグッズの案内のチラシと、『和』厄除けのスペシャルグッズでした。スペシャルグッズには「サインをキャッチ!」と書いてあって嬉しいです。歌詞カードには「ワンネス」と「ハローCQ」が両面にありました。会場では「ワンネス」の主題歌(歌なし)が流れているって思いました。
ブザーが二回なっていよいよ待ちに待ったプレミアム上映会がはじまりました。司会はスラっとした美女、速水ゆかこさんでした。出演者が登場して挨拶。生の声、それぞれに感動でした。主役のお二人の洒落た本名に驚きました。星美さんは美人で、流星さんはイケメンでした。メイドさんの三人は、とても可愛くて、めいどりーみんにはどうやって行くの?というもりけんさんの質問に「秋葉原の駅を出てまっすぐに行って・・・」という所で会場から笑いが起き、すかさず瀬戸さんのフォローが、「電気街の出口(?)の方からですね」と。メイドさんの可愛らしさと、瀬戸さんの気遣いと、とてもいい感じでした。ちなみに夜の部では、メイドさん、ちゃんと秋葉原のどこの出口からかをちゃんと言えてました。
瀬戸さんは、空手着で登場で、職業は歯科医で元は麻酔科医だったということですが、優しい口調で、とても空手の有段者には見えないなと思いました。ハムの免許は小学校6年生の時に取得され、その時に受けた試験が今まで受けた試験の中では一番難しかったと、ルートの出てくる公式を言われてました。夜の部では、なぜ昼にそんな公式を言ったのか自分で分からなくて不思議に思っていたけれども、映画を観て分かったと、共振していたんだと話されました。
佐野さんは、いつもにこやかで本当に可愛いと思いました。永遠の18歳なんだと思いました。映画の中でのインタビューシーンでアップで映され、佐野さんはフルメイクに対して、もりけんさんが編集の段階で自分のアップに耐えられなくて自分のアップはカットしたと話され、「その後フェイシャルに通っています」と話され、その後の顔を「どうですか?」という質問に、もりけんさんを「可愛い」と表現された佐野さんが可愛かったです。
メイドさんの踊り、見ていてとっても楽しい世界に引き込まれました。途中でもりけんさんが手拍子で登場すると会場が盛り上がりました。素晴らしいです。
佐野さんとの対談では佐野さんの訳された『シークレット・コード』の中から・・夜の部でしたが、もりけんさんの「箱から出るということがありますが、これはどのように?という質問に顕在意識を解放するということだと思うのですが、「森田さんはもうすでに出ているじゃないですか、箱に収めようと思っても収まらない(笑)」と言われたのがもりけんさんをよく表しているって思いました。
瀬戸さんとの対談では、撮影は12月だったから水温もまだ高かったと瀬戸さんが言われ、12月でも冷たいと思うのに瀬戸さんにしてみればぬるかったんだとビックリしました。1月にもなると水温は0度になり、そうなると3分しか浴びてはいけないというお話が興味深かったです。夜の部のあいさつの時に、もりけんさんに、「滝浴びなんかしてなんになるのですか?」というとてももりけんさんらしい突っ込んだ質問に、「1月に滝浴びをすると一日中体がぽかぽかして、リラックスした状態になる」と答えられていました。その時、佐野さんが「私は8月にしたことがあります。写真に写るオーブが大きくなると言われて」と話されたら、もりけんさんが「はいない」と笑ってテキトーにあしらわれたのが可笑しかったです。それにしても瀬戸さんのご自宅の無線機の数はすごいでした。本業は歯医者で、空手家で麻酔医で、無線もされて、多趣味です。
もりけんさんのトークで、大きなトランクを監督自ら下げて登場、「森田さんの軽さがいい」と、昼の部に一緒に行った親戚の人(もりけんさんとほぼ同い年)も言ってました。
西洋の人が書いた本を下條さんが翻訳した本の内容から始まりました。脳科学での実験で直接脳に電極をあてて本人に反応を聞きながらのすごい実験がされたのだと思いました。その結果、意識は無意識よりも0.5秒遅れていると。「ヒトは実は遅れて生きている」ってそういうことまで西洋の人が本に書かれたんだと思いました。それなのになぜ西洋ではその後の反響とか無いのだろうと思います。この本の最後で下條さんがこの著者に反論している所がいいと思いました。西洋人はあくまでも意識が支配しているということにしないと気が済まないのだ、結果をそのままではなくて自分の都合の良いように見てしまうのかなと思いました。もりけんさんは、トランクの中に仙人ローブも用意してこられたのだと思いました。白色と黒色を見せてくださって黒い方を着られました。本邦初公開だと思います。よくお似合いでした。黒いローブは仙人修行の後に無意識についてのレポートを書かれたことをとても評価されてのことだと話してくださいました。騒音の中での修行、とても意外です。この上映会からの帰り、電車を待つ駅の雑踏の中で、『この様々な音が自分の中から聞こえるように・・。う〜ん…。』って俄かにわかることは出来ないですがどんな感じになるのだろうと想像してみました。もりけんさんの不思議調査と、下條さんの脳科学研究からのアプローチが同じところへ向かっていることがとっても興味深いです。「それは、本当にあなたの意思ですか?」なんてすごいインパクトあります。
無意識と意識の記録媒体(?)、もりけんさんがどういう言葉を使われたかは覚えていないのですが、使われている言語のようなものが全く異なっているから我々は気付かないし、わからないんだと、本当にそうだと思いました。無意識はデジタルで、意識はアナログ。アナログは情報が膨大になるからコピーも大変。でもデジタルにすればコピーは簡単になり、今日はかつ丼を食べるとかいう、要所要所さえ押さえておけば、あとは大まかで大丈夫、と言うお話。
西洋人が認めたくなくても、「和」を観て、潜在意識から変わってきて何かおかしいぞとか思うようになり、意識も変わってくるのかもしれないと思いました。「和」はドキュメンタリーとドラマとアニメが呼応して、とても面白いと思いました。ドキュメンタリーのテンポも良くて、観てて飽きなくて、答える人、断る人、迷ってる人、様々でそれもいいなと思いました。インタビューの場所も日本なんだけど、歴史を感じさせるところが出てくるわけではなく、日本人なら誰でも行ったことはなくても知ってる、メイド喫茶とか原宿とかスクランブル交差点とか、回転ずしとかケーキ屋さんだったんだと思いました。軽くて混沌としてめまぐるしく動いているって思いました。
星美と流星のドラマは、ハムの送信のシーンに結構見入りました。指ってわずかしか動かしてないんだと思いました。頭に浮かぶ文章をあのツートンとかいう信号に変える作業って、無意識に近いところの作業だと思いました。それだけではなくて、月面反射とか、カッコイイです。HPの皆で考えた、フェチな動作、どこだろう、ここだ!ってドキドキしながら探しました。それも楽しかったです。星美さんの部屋は女の子らしくて、ピエールの部屋はフランスっぽくって、流星の部屋は、機材がすごかったです。めっちゃすごかった。これをハムやってる人が見たらほんとにたまらないだろうなあって思いました。外に立ってるアンテナもデジタルアンテナみたいなのやパラボラアンテナみたいなのを映されたんだなあと思いました。星美役の俳優さんも本当にハムの免許を取られて、これは陰の部分が半端ないと思いました。司会の速水さんは、アニメの動画は初めてというお話でしたが、イケメンと美女良かったです。アンドレのアニマの声は、可愛くてハキハキしてて素敵でした。佐藤先生のアンテナのお話が聞けて良かったと思いました。指向性のアンテナと全方向のアンテナ、これが意識と無意識に繋がってしまうって、もりけんさんの取り組まれたこと、無駄なことは何もなかったんだと思いました。アンテナを研究することになったのも先生から声をかけられたからであって、自分から門をたたいたわけではなかったんだと思いました。これまたすごいです。先生がグライダーを操縦されるとき、全て風任せなのに「自由に飛べるからです」と言われているのがとても響いてます。ラストシーンでグライダーが富士山の前を飛んでるシーンでなぜか涙が出ました。鴨が列をなして飛んでました。烏も飛んでました。ツインがとっとこ走ってました。とっても良かったです。
夜の部ではラストシーンで後ろの席で拍手がはじまりました。私も一緒に拍手するまでは間が空きました。後ろの席の人に負けたと思いました。。。


夜の部の舞台挨拶の時に瀬戸さんの奥様から、花束の差し入れがあり、一人ひとりに手渡されました。瀬戸さんとは幼稚園からの幼馴染ともりけんさんに紹介され、瀬戸さんが「最近寝顔を見ていてどこかでみたっことがあるなあと思っていたら、幼稚園のお昼寝の時の寝顔だったのですね」なんて、ちょっとちょっと〜って思うような仲の良さそうなお話をされました。何だかいいなあって思いました。
夜の部では息子さんが空手着で登場されて、予定にはなかったらしくて、いきなりもりけんさんの何か見せてというふりに、30秒ほど(?)の空手の型を披露してくださいました。初めて見ました。迫力があるものでした。
上映会が終わってロビーに出ると瀬戸さん親子が立っておられました。握手をさせていただいて、息子さんはガッチリした手で、瀬戸さんは暖かく優しい手でした。とても嬉しかったです。
「和」は日本的な曖昧さを表現して、とても斬新なんだけれども、観たあと押し付けがましいところが1つもなくて柔らかくて、何だったんだろう?って。。。思いました。でも涙が出たのです。楽しい映画でした。トークもとっても楽しかったです。サインをキャッチ!ありがとうございました。

映画『和』プレミアム上映会――映画感想2

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(2014/04/27 15:51:59ネタバレなしコーナーに投稿したのと同じ感想文を、こちらに投稿し直します。)
 
 トークショーでもりけんさんが「日本を愛している」と言って、ひいおじいちゃんのエピソードを話してくださいました。そこからの繋がりで「日本とは何か」を表現したのが映画『和』なのだと思います。映画を観て、わからないがゆえの奥深さに触れられる作品だと感じました。
 私が観たときには、メイドさんが出てくるところで、なぜかほろっときました。なぜだか理由はよく分からないのですが・・。
 
 不思議なことに、映画に出てくる外国人の中に、日本人らしさを垣間見た気がしました。
 フランス人シェフの方は、質問を受けたときに、わからないということに誠実に向き合って、率直にその思いを出されている印象を受けました。一応の答えを言いながらも「こういった質問に答えるのは難しい」と言っていた場面がありました。
 インタビューを受けて「わからない、あなたはどうなの」と隣の連れに振ったりしていたのも西洋人でした。
 
 終盤の「『和』とは何だと思いますか?」の質問に答えたのもフランス人シェフで、「こういう言葉を表すフランス語はない」ということでした。意味深い・・本当に「意味深い」としかほかに言いようがないような独特の何かが「和」の中にはあるのだということが、確かに伝わってきました。
 日本人なら、一応の答えを言える人もいると思います。ですが、ピンポイントに核心を突くことだけが、真理に近づく方法ではないのだということを感じさせられました。ピンポイントは、鋭いですが狭いです。真理は周辺にも広がっているのではないかという気がします。「言い切れなさ」を表現することでしか、浮き彫りにできない真実もあるのではないかと思いました。
 
 映画『和』全体が、そういうアプローチをとった作品なのだと感じます。
 日本人は月にウサギを見るという話をして、フランスでは月が想像力をかき立てることはあるけれど直接に何かの形は見ないという答えが返ってきます。こういう意外なところにも日本人の特性が隠れているような気がしてくるのですが、それが何なのか今のところどうとも言えません。
 空手の流れるような型や回転寿司のシーンが出てくるのですが、それによって何が表現されているのかを、言葉で説明するのはとても難しいです。けれども、何かが心の琴線に触れ、身体の奥に届いたという、確かな感触があるのです。
 
 原宿の街は活気に満ちていました。ここで暮らす人々の笑顔が、日本の明るさを支えていると感じます。東京駅では対照的に、多くの人がインタビューに応じず足早に去っていきます。でもこの人たちが日々一生懸命仕事をして、今の日本社会を支えてもいます。ラストシーンに写るのは、渋谷のスクランブル交差点です。
 これら全部をひっくるめたのが日本の姿なのだと感じました。一言では言い切れません。
 日本の特徴を全部はっきり分かっている日本人は、誰もいないと思います。
 だから映画『和』は、日本人が観ても未知の世界に遭遇するような、たくさんの「わからない」に出会える作品なのだと思いました。

きょうは映画の編集にコメントしてくれた人がいて超嬉しいです(笑)

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 映画を見ている人が着地しないように編集しました。
 着地すると意識の世界に入ります。
 浮遊したままだと無意識の世界です。
 
「自分ならこう答える」というのが、何度も映画を見ると変わってくると思います。
 それは360度開かれた状態に戻るからだと思います。
 
 この映画はボーと見ていても心地よいはずです(笑)。
 なぜなら無意識が見ているからです。
 
 このHPを見ている多くの人は「宇宙人はいる」と答えると思います。
 でも・・
 いないと答えた人を批判できないと思います。
 なぜなら、本当にいないかも知れません。
 
 黒の仙人ローブで聞いた時、インタビューされたすべての答えが、自分の中から聞こえなければなりません(笑)
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