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映画「ワンネス」 私の主義主張

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 昨日までは事実を書いてきましたが、きょうは私の主義主張を書きます。
 私の高校時代、学生運動が吹き荒れてストライキもありましたが、私は非改革を訴えました。
 私を支持する人はほとんどいませんでした。
 ほぼ全員が改革派でした。
 改革派というのは他動詞的だと思いました。
 私が主語で、そのあと動詞があり、最後に目的語があります。
 つまり「私が世の中を変える」です。
 こうでありたくないというのが私の主義主張です。
 では、どういう形ならいいのでしょうか?
 自動詞的が良いと思います。
 世の中は自動的に変われば良いのです。
 ここで生まれ変わりの村の情報をひとつだけ取り出します。
 スープの情報です。
 たったこれだけでいいんです。
 あの世には光の存在がいるとかいないとか、二次的なことです。
 裁きがあるとかないとか、二次的なことです。
 来世を選べるかどうかも、二次的です。
 あの世は人によって違うというのも、もちろんオーケーです。
 なぜなら、これらは自動的に解決していくと思うからです。
 スープを飲まなければ前世の知識もあの世の出来事も持ち越せます。
 すでに日本人の中には出現しつつあります。
 スープの情報が科学者に広まれば、あの世の解明が進みます。
 宗教で言っていることが正しかったか、自動的に分かります。
 そして世界は自動詞的に変わります。
 私が変える必要はありません。
 情報が変えてくれます。
 私はノードにしかすぎません。
 でも時間がかかります。
 私が生きている間は大きなは変化ないでしょう。
 300年くらい先だと思います。
 それでも、世界は自動詞的に変わるべきだと思っています。
 これが私の高校時代から変わらない主義主張です。

映画「ワンネス」 改革とは?

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 高校の紛争の時、三年の二学期はほんとど授業はなく、クラス単位の話し合いばかりでした。
 ところで多くの紛争高が制服の自由を掲げて学生運動に入りました。
 でも当時、私の高校は都立高校では唯一服装は自由で、出欠も取らないという自由高でした。
 だから教職員も紛争は起こらないと思っていました。
 ところがそんな高校にでも不満を見いだすことができたのです。
 生徒総会でストライキが可決され、紛争に突入したのです。
 と、こう書けばこれを読んでいる皆さんの多くは否定的に捉えると思います。
 でも、次のように書けばどうでしょうか。
「ところがそんな高校にでも改革すべきことを見いだすことができたのです」
 改革という言葉が入っただけで肯定的に捉えるのではないでしょうか。

映画「ワンネス」 負の遺産を分析しなくてはならない

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 私の手元には「負の遺産を分析しなくてはならない」という本があります。
 紛争後、15年も経ってから、当時の教師が書いた本です。
 これを読むと面白いのは教師の側の様子を知ることができるのです。
 教師も大半は改革派だったのです。
 改革委員会なるものを組織していたのです。
 非改革的な意見の教師は詰め寄られたりしていました。
 こうして改革は「善」になったのです。
 しかし・・です。
 本の題名は「負の遺産を分析しなくてはならない」になっています。
 あのとき改革を誰も止めることができませんでした。
 私は中学の時、生徒会長に立候補して大差で落ちています。
 それがトラウマになり、全校生徒の前で喋ることなんて怖くてできません。
 でもクラスで非改革を言い続け、卒業討論会はクラス代表に選ばれました。
 全校生徒の前で私が意見を言えば、罵声しか飛んできませんでした。
 でもあのとき、全校生徒の前で非改革の意見を言えことは、私の誇りのひとつとなりました。

映画「ワンネス」 専門化と非専門化

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 教師が改革委員会を作ったことは昨日、書きました。
 その委員長が私のクラスの担任でした。
 だから担任と私は激しく討論しました。
 月日は流れて私は大学に入り、最初のクラス会が開かれました。
 二次会で担任は僕に言いました。
「森田君、専門をしっかり勉強しろよ」
 うーむ、せっかくカトリックの大学に入ったのだからその気はありません。
 私は宗教学を取りまくっていました。
 父は担任とは逆のことを言いました。
「健よ、大学に入ったからといって専門を勉強する必要はないんだぞ。裾野を広げることをしろ」
 これって改革派と非改革派の違いかも知れません。
 目的を絞り邁進する・・これは専門家になることだと思います。
 裾野を広げる・・これは好奇心にも結びつきます。

映画「ワンネス」 改革と非改革

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 高校紛争の件は本日で終わりにしたいと思います。
 なので、まとめをします。
 私の高校は穏便でした。
 もっと激しい高校は沢山ありました。
 バリケード封鎖をして機動隊が導入され、新聞に載る高校もありました。
 私の高校は二学期の授業が無くなり、期末テストも無くなった…その程度です。
 しかし15年経って「負の遺産を分析しなくてはならない」という本が教師によって出版されました。
 なぜでしょうか?
 私の仮説を書きます。
 私の高校はユートピアだったのです。
 すでに書いたように当時の都立高校の中では唯一の服装自由高でした。
 出欠も取りません。
 一年から二年になるときクラス替えがありましたが、学校側が生徒の投票に託しました。
 極めて民主化されいた高校でした。
 しかしそんなユートピアでも紛争が起こったのです。
 生まれ変わりの村の写真もう一度出します。
 洞窟生活をしています。
 それに比べて私たちは文化的な生活をしています。
 これ以上改革、あるいは前進する必要があるでしょうか?

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映画「ワンネス」 非改革と引き寄せの法則

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 最近、非改革思想に出会いました。
 山川紘矢・亜希子、佐野美代子翻訳の「ザ・シークレット」です。
 229ページにこう書かれています。
「反戦運動をすると戦争をさらに増大させます。麻薬撲滅運動も実際に麻薬を増大させました。それは、私たちが望まないもの、麻薬に焦点を当てたからです」
 たしか、マザーテレサも同じようなことを言っていたと思います。
 引き寄せの法則は一見すると改革派思想に感じるかも知れません。
 しかし改革派思想が根底にあると、引き寄せの法則を使っても運は良くならないと思います。
 でもこれはあくまで私の仮説です。
 みなさんはみなさんのやり方があって良いと思っています。 
(続く)

映画「ワンネス」 非改革とザ・マジック

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「ザ・シークレット」の次に出たのは「ザ・マジック」という本でした。
 これも山川紘矢・亜希子、佐野美代子翻訳でベストセラーになりました。
 主に感謝について書かれています。
 感謝も運を上げると思います。
 なぜなら非改革の基本だからです。
 感謝をするとき、相手や周囲を変えようとはしていません。
 と、ここまで書いて思うのは、非改革的な思想が運を上げるのではないかと思うのです。
 生まれ変わりの村は世界で最も早く、スープの情報が伝わりました。
 洞窟生活をして、上を目指さなかったためかもしれません。
 お葬式も、まるでお祭りでしたよね。
 そして98%の人が幸せだと言っています。
 別の意味で、マジックかも知れません。

映画「ワンネス」 好きなものに焦点を当てる

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 きょうから私の生き方について書きたいと思います。
 5日前の書き込みで、中学の時、生徒会長選に立候補して大差で敗れたと書きました。
 相手は私の三倍以上の得票でした。
 何を隠そう、かなりショックでした。
 私には政治的・社会的変革は向かないのだと思いました。
 自分の好きなものに焦点を当てて生きよう・・こう思いました。
 科学部(部活)の部長に立候補しましたが、私以外誰も立候補しなくて無投票で当選しました。
 ホッとしました(笑)。
 活動は週一で、私が実験内容を考えて、部員みんなで実験しました。
 中世の科学者が行った実験が多かったです。
 これがウケて部員はどんどん増えて、とうとう部屋に入りきれなくなり、それ以降の入部はできなくなりました。
 生徒会といえば、つまらない会議をやっています。
 こっちは後輩たちが沢山いて、盛り上がっています。
「やっぱこれだよな」
 今の私でもあります。
(続く)

映画「ワンネス」 ブルマの少女

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 中学二学期後半になると志望校を決めなければなりません。
 言っちゃいますが、中学での僕の成績は良くて、偏差値ではトップの高校を楽に狙えました。
 それでも何を思ったのか、高校巡りを始めます。
 5カ所回るので3日かかりました。
 だって僕は田舎に住んでいたので、それらの高校まで往復1時間半かかったからです。
 偏差値順に回りました。
 どれもこれも「ああ、こんなもんか」思う高校でした。
 可も無し不可も無し。
 みんなマジメに下校している風景でした。
 ところが最後に訪れた高校で・・・
 正門にブルマ姿の女子高生が現れたのです。
 バレーボールが転がってきたので僕は拾い、その子に渡しました。
「ありがとう。君、高校見学?」
「そうだよ」
「この高校、来なよ!」
 ピッカピッカの笑顔です。
 下はピッチピチのブルマです(爆)
「うん!!」
 帰り道、僕はルンルンでした。
 ずっとコニコニして帰りました。
 翌日、校長に呼ばれました。
「森田君、志望校を落としたんだって? なんで三ランクも落とすんだ? 理由を言いたまえ」
「えーと、ブルマの少女が・・」
「ブルマぁぁぁ?」
 今僕は61歳ですが、僕の頭からまだ抜け出していません(爆)。
 あれは天使がブルマで登場して僕を試したのではないでしょうか?
(続く)

映画「ワンネス」 流される人生

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 ここで簡単なまとめと私の意見を書きたいと思います。
 生徒会長落選もブルマの少女も、私にとっては外側の出来事です。
「森田さんが引き寄せた」という人がいるかも知れませんが、大差での落選を誰が好んで引き寄せるでしょうか。
 無意識に引き寄せたというかも知れませんが、それは今回、議論の対象外です。
 さて、生徒会長になっていたらどうでしょう。
 私はブルマの少女に反応できたでしょうか?
 私は当時、村に住んでいました。
 トップの高校に受かれば、村中の話題になれました。
 そういう意味では「個」として生きるのが意外に難しいです。
 村では「個」よりも「世間の目」です。
「栄さん(父の名前)の息子は生徒会長戦に大差で敗れたんだって」
 この情報が村を駆けめぐり、私は自由になれたのです(笑)。
 人は、外側で決まる・・・こう思えたのは中学生の時でした。
 どうせ僕は人望のないヤツです、ブルマで選んで何がまずい?(笑)。
 選択するバロメータは、そのときの気分。
 でも、それを「選択」とは言いませんよね。
 流される・・と言います(笑)。

映画「ワンネス」 流れに乗る

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 高一の下校時、中央線に乗って立川駅で降り、乗り換えるために地下道を歩いていたときのことです。
 ある声が頭の中に響いたのです。
「上の電車に乗って」
 僕は思いました。
「えーー、上の電車に乗れば、また高校のほうに行っちゃうじゃないか」
 声はもう一度しました。
「上の電車に乗って」
 僕はUターンしました。
 ホームではすでに発車のベルが鳴っています。
 階段を一段飛ばしで駆け上がり、ドアが閉まりかけているところに飛び乗りました。
 目の前に同じ高校のバッジを付けた子がいました。
 飛び乗った電車は特別快速東京行きで、高校の駅には止まりません。
 目の前にいた女の子が言いました。
「どうしたの?」
 同じ声でした。
「君の声が聞こえたんだ」
 これがきっかけで付き合うようになりました。
 何が言いたいかといえば、カノジョを「選択」したわけではありません。
 って言うか、学校イチの美人だったので、身長148センチでクリクリ坊主の僕としては、校内で知りあったとしても圏外でした。
 さらに教室は校舎の端と端で下駄箱も違うので、こういう形でしか出会えなかったと思います。
 昨日のタイトルは「流される人生」でした。
 きょうのタイトルは「流れに乗る」です。
 どちらも同じです。
 そこに自分の意志はないのですから…。

映画「ワンネス」 絶望

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 昨日書いた「流れに乗る」という書き込みに対して、タイヤの川下りに似ているとレスをした人が何人かいました。
 川下りは別の機会にレポートしますが、あれとは違うのです。
 なぜなら川下りは自分で計画し、望みに向かったからです。
 ここ一週間ほどで上げた事例は逆で、絶望…すなわち望みを絶つことです。
 生徒会長選に敗れて望みが絶たれました。
 ブルマの少女を見て、トップ高校への望みを絶ちました。
 高一ではアマチュア無線に熱中して家にいるほうが楽しかったのに、Uターンすることでそれを絶ちました。
 声が聞こえたって空耳に決まっています。
 何も起こらず、バカなことをしたと後悔するに決まっています。
 それよりも早く家に帰り、見知らぬ局と交信したほうが楽しいです。
 階段を駆け上がるとき、脱力感で一杯でした。
 僕は僕に言いました。
「しっかりしろよ健、自分を持てよ」
 しかし自分を放棄して駆け上がります。
 好奇心だと言う人がいるかも知れませんが、それも違います。
 ちゃんと音として聞こえたことに反応するのが好奇心です。
 絶望…すなわち望みを絶つことです。

映画「ワンネス」 悟りは希望か絶望か?

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 昨日は「絶望」というテーマで書きました。
 悟りはどちらでしょうか?
 夢や希望でしょうか?
 それとも絶望でしょうか?
 無とか空とか言われますが、それは望みを絶つことではないですか?
 だとすれば、どちらかといえば絶望に近くないでしょうか・・。

映画「ワンネス」 無神論者だった私

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 高校一年の終わりまで、私は神について考えたこともありませんでした。
 まったくの無神論者でした。
 宗教的なことを話題にするのもイヤでした。
 この世界は偶然にできたと思っていました。
 だから私は、無神論者のことも理解できるつもりです。
 15年間に渡り、自分自身がそうだったからです。
 それが高二のある日を境に、まったく変わってしまうのです。
(続く)

映画「ワンネス」 悟り

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 フェイスブックに書いた非改革と悟りのテーマのところが、半ば炎上状態にあります。
 きょうは神への気づきについて書こうと思いましたが、予定を変更して悟りに関する私の意見を書きます。
 もしも悟りという状態が存在し、その結果、涅槃に行けたとしましょう。
 そして、神または仏からこう言われたとします。
「森田君、よく頑張って修行した。涅槃に行って下さい」
 私は答えるつもりです。
「イヤです」
「なぜですか?」
「まだ沢山の人が残っているからです」
 こうして私は地球で輪廻を繰り返します。
 いよいよ私が最後になりました。
 私は、神または仏に刀を差しだして言います。
「これで私を消滅させて下さい」
「なぜですか?」
「悟りなどというシステムを作ったあなたと共にいたくはないのです」

映画「ワンネス」 神との遭遇

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 高校二年になると物理が始まりました。
 四月のある日、先生は黒板に物理の方程式を書いていました。
 一瞬、僕の体に電流のようなものが走り、問いがわきました。
「この物理の方程式はルールだ。交通ルールは人間が作ったから存在する。では物理のルールを作った存在は? そして存在はどういうルールで動いているんだ?」
 この問いを持った一瞬で僕の一生が決まったのです。
(続く)

映画「ワンネス」 神様、あなたのことを知りたい

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 高校二年以来、私の一生は、神の性質を知りたいことに捧げられます。
 例えば好きな人ができたとすれば、その人の性質を知りたいですよね?
 性質を知らないのに信じれば、盲目的だと思います。
 つまり、神と遭遇したと言っても、一般的な意味での遭遇とは違うのです。
 ひとことで言えば、研究対象あるいは実験対象になっただけです。
 しかし一分前までは考えてもいなかったことです。
 突然私に、壮大な研究テーマが降ってきたのです。
 物理のノートの隅に書きました。
「神様、あなたのことを知りたい」
(続く)

映画「ワンネス」 人生の目的

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 学校では夢や希望を問われます。
 しかし僕にはそれがありませんでした。
 夢や希望を実現するためではなく、「神様、あなたのことを知りたい」に尽きるのです。
 自分の才能や能力を伸ばすことも、どうだっていいんです。
 そういうものに焦点が当たらなくなってしまったのですから。
(続く)

映画「ワンネス」 ナンカ変?

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 というわけで「神様、あなたのことを知りたい」という高校生活が始まりました。
 夢や希望は無くなりました。
 にも関わらず、バッチリと勉強だけはしている…というのはナンカ変ですよね(笑)。
 で、神への問いに関係ないような勉強はやめたのです。
 白羽の矢が立ったのは英語でした。
 英語に、神への問いがあるとは、どうしても思えなかったのです。
 それで本すら開くのをやめて、成績はとういう「1」になりました。
 これが自慢でした。
「神様、僕はこれほど神様のことを思っているのです」。
 ナンカ変?(笑)

映画「ワンネス」 なぜ英語の勉強をやめたか

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 昨日は「ナンカ変?」というふざけたタイトルがいけなかったのか、間違って取られたレスも多かったので、もう一度書くことにしました。
 本人の森田君にとっては、他の人にうまく説明できるような理由はありませんでした。だって普通、与えられたことをやるのが学業でしょう。でも英語だけは「神への問い」に関係ないと思って一切の拒否をしたのです。そのために通信簿は「1」になってしまいました。
 それでも森田君は、ここで死守せねば、神に問う資格はないと思っていたのです。
 こっちもリスク張ってんだぞ…みたいな。
 当然の事ながら神に祈ったこともありません。それって神を利用するってことじゃないですか…。いいとこ取りみたいな…。
 そして英語を拒否した結果が、受けた大学を全部落ちるということになりました。
 何の得にもなりませんでした。
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