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映画「ワンネス」 『低予算映画を大作に変える撮影術』4

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 この写真は何をやっているかといえば、片方からの撮影が終わり、もう一方からの撮影のためにレールを敷いています。
 つまりレールで撮るのを採用したために、スタッフはとても大変でした。
 でもそれ以上に大変なのが俳優でした。
 もともと時間が無くて、しかも準備に手間取っているので、NGへのプレッシャーは高いです。
 もっと言えばですね、このシーンは『経験前』と『経験後』があるのです。
 映画の始まりと、映画のエンディングに登場します。
 主人公が色々なことを経験して、再び時間が戻ります。
 その変化を出すのが校庭ベンチシーンです。
 そしてレールは一本しかないので、一方方向から『経験前』と『経験後』を撮り、レールを敷き直して『経験前』と『経験後』を撮ります。
 俳優にとっては時間が行ったり来たりします。
 けれど、俳優の演技にNGはありませんでした。
 みんな一回でオーケーでした。
 事前の三日間のリハーサルのとき、毎日このシーンの演じ分けを練習したからです。
 パターン化されていました。
 さて、これを読んでいる皆さんは、一瞬一瞬を創造して生きているでしょうか?
 新しいことにワクワクしながらクリエイティブに生きているでしょうか?
 もしそうだとすれば、何て言おうかな・・。
 いちいち自分に立ち返り、意識を優先させると、何かを失うような気がしてなりません。

映画「ワンネス」 『低予算映画を大作に変える撮影術5』…無意識の知覚

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 レールの上に三脚が載っています。
 これにカメラを置いて俳優に近づけます。
 レールは約3メートルです。
 それを50秒かけて近づけます。
 最初、NGを出してしまいました。
 三脚を押すスピードが速すぎて、40秒くらいで終点まで達してしまったのです。
 何が言いたいかといえば、観客になるであろう皆さんは、意識では、近づいていることが知覚できないと思います。
 これが大事なのです。
 意識できないからこそ、このシーンは素晴らしいものとして感動するのです(おそらく)。
 実は私たちの実生活でも同様です。
 心を動かされるものは、たいてい無意識の領域だと思います。
 多くの人は「意識を高める」と言いますが、無意識も大事にして下さい。

映画「ワンネス」 『低予算映画を大作に変える撮影術6』…予期しない良い出来事

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 レールでの撮影が開始されました。
 撮影技師を載せた台車を助監督が押します。
 ゆっくりゆっくりと押します。
 音声スタッフがマイクを掲げています。
 音声技師がヘッドホンに耳を澄ませています。
 多くの映画はアフレコです。
 あとからスタジオで録音されます。
 でもワンネスは現場で音を取ります。
 もちろん低予算が理由ですが(笑)、とても良い音が入っていました。
 鳥の声です。
 とてもハッキリとした鳥の声です。
 実写の現場は予期しないアクシデントもありますが、予期しない良い出来事もあるのです。
 人生も、そういうものではないでしょうか?

映画「ワンネス」 聞くときの顔

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 撮れた画像をみんなで点検しているところです。
 私がどこに重点を置いて見ているかというと、聞いている側の表情です。
 ワンネスは聞いている側、すなわち周囲の情報をキャッチすることがテーマのひとつだからです。
 これは『低予算映画を大作に変える撮影術』をはじめとするハリウッドの本には書いてありませんでした。
 聞いているときの表情は、実は、喋っている表情よりも「画」になるものです。
 みなさんだってそうだと思います。
 相手がキラキラした顔で聞いてくれているだけで嬉しくなるはずです。

映画「ワンネス」 人生の転機は一瞬

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 智也に貸すはずだった世界のノートを忘れ、ロッカーまで走っていく容子を見る智也のシーンです。
 これも『経験前』と『経験後』を撮ります。
 ここは俳優がイマイチ状況を消化し切れていなくて、私のコメントが入っています。
 指示ではなく、コメントです。
 指示だけすれば、表面的な演技で終わってしまいます。
 あとから見れば、実に良い画に仕上がっていました。
 ロッカーに置き忘れるというポカをやってしまった容子、一生懸命に走り去る容子。
 後ろでは花瓶が割れるという外応が発生し、そのとき内なる声を聞く智也。
 ワンネスという映画のもっとも重要な部分です。
 それを表情だけで演じなければなりません。
 みなさんの人生でもそうではないでしょうか?
 重要な転機はほんの一瞬で、しかも会話は無し。
 その一瞬にかけられたとき、人生が大きく変わる。

映画「ワンネス」 聴覚復活の不思議

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 50歳を超えた頃から右の耳の高音が聞こえにくくなっているのがわかりました。
 検査で発覚したのが、三年前の人間ドックでした。
 4000ヘルツが全く聞こえず、耳鼻科に行って検診したほうが良いと言われました。
 
 耳鼻科に行ったら、脳腫瘍の可能性もあるのでMRIを受けてこいと言われました。
 でも結果を見る限り、脳腫瘍は発見されません。
 
 東京医科大学付属病院を紹介されて、そこに行きました。
 もっと詳しい脳検査が必要だと言われ、大学病院で脳の検査をしました。
 でも原因が分からず、老衰だと言われました(爆)。
 
 ただし、1000ヘルツ以下はちゃんと聞こえるので、日常生活にはほとんど支障はありませんと言われました。
 
 大学病院の治療を一年続けましたが効果は無し。
 当時は中国紀行も激しくやっていたので、中国の超能力者にも治療をしてもらいました。でも効果無し。
 
 毎年人間ドックは受けているのですが、その後、二回ともダメ。
 つまり三年間に渡り、パスできなかったのです。
 右の耳の高域は諦めました。
  
 ところが今年の二月頃から何となく聞こえるような感じになりました。
 そして先日人間ドックを受けたのですが、4000ヘルツがまったく問題なく復活していたのです。
 医者もビックリしていました。
 
「こういう機能が復活するのは珍しいです」・・と。
 
 今年の二月といえばワンネスの映画が始まった時です。
 だって他に変化は思い出せません。
 ワンネスって感覚を若返らせるのでしょうか?(爆)
 
 復活して楽しいのは、音楽を聴いて、高域が両方の耳でキャッチできることです。
 昔はこうだったけど、そのときに戻りました。
 
 ちなみに、突然聞こえるようになったのではなく、徐々に聞こえるようになったのです。
 撮影の時にずいぶん良くなっていたようです。
 ロケ中に、遠くの小学生の声とかがフェードアウトするまで待ちますが、スタッフの「監督、今イケそうです」という声が無くても「スタート」を言うことができるようになったり・・。
 
 徐々に聞こえてきたということは、この先が心配です。
 このまま拡大しないだろうな・・って(爆)

映画「ワンネス」 メイド喫茶

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 秋葉原のメイド喫茶に行ってきました。
 2005年にも行ったことがあるのですが、大きく変わっていました。
 昔のメイド喫茶は、メイドがメイドらしかったです。
 しゃしゃり出ることはなく、ご主人様の命令に仕えようとするスタンスがありました。
 でも今は逆転しました。
 メイド喫茶にはルールがありました。
 メイドを呼ぶときは「にゃんにゃん」です(笑)。
 えーー、なんか変です。
 ご主人様のルールに従うのが本来のメイドであるはずです。
 61歳の男が「にゃんにゃん」と言わないと、ウエイトレス(メイド)も来てくれません(笑)。
 おじさんたちがあちこちで「にゃんにゃん」と言っています。
 ちなみに写真も「にゃんにゃん」と言わないとダメです(笑)。
 しかし店は満員でした。
 人は、受け身が好きなのです。
 自分が世界を創り出しているとか言いますが、実は違うのだと思いました。
 ところでメイド喫茶の話題がなぜ「ワンネス」なのでしょうか。
「ワンネス」も受け身の世界を言っているからです。
(続く)

映画「ワンネス」 受け身

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 しつこいですが、また書きます。
 最新の脳科学よれば、意識は無意識よりも0.5秒遅れています。
 ということは、意識は無意識に対して受け身なのです。
 意識はメイドなんです。
 ご主人様は無意識です。
 ここまでは何度も書いた概念です。
 きょうは一歩進めます。
 人間はメイド(受け身)であることに快を感じるのではないかと思います。
 流行の服を着るのも、一種の受け身です。
 個を出そうと頑張っても、流行から完全に外れることはしないでしょう。
 受け身だからこそ、世の中が成り立っていると思います。
 全員が個を主張し始めたら、どうなるでしょう?
 こうして考えると、受け身だということを認識して、やっと次に行けるような気がしてなりません。
(続く)

映画「ワンネス」 瞑想は究極の受け身

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 受け身の話題を続けます。
 映画「ワンネス」では主人公が窮地に立ったとき、瞑想します。
 ハリウッドの映画では、これはないと思います。
 意識を高めていくのがハリウッドのやり方です。
 しかし瞑想は逆です。
 意識を手放します。
 そして究極の受け身状態に入ります。
 こうして考えると、受け身というのは、案外、大事なのです。
(続く)

映画「ワンネス」 周囲から情報を得る

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 今、私は作詞をしています。
 ワンネスの主題歌と挿入歌は作ったのですが、CDとして売り出すには、あと何曲か欲しいです。
 作詞というのは書斎に籠もって考えても出てこない。
 なのでメモ用紙を持ってウロウロします。
 これって受け身ではないかと思います。
 ウロウロすれば景色が変わります。
 その景色(周囲)から情報を得るのですから・・。
(続く)

映画「ワンネス」 シチュエーション

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 昨日はメモ用紙を持ってブラブラしましたが、作詞がまったくできませんでした。
 夜になって思いました。
 
松任谷由実はうまいです。
コップに写った風景だけで歌詞を作ります。
例えば「海を見ていた午後」とか・・。
ところですでに出来たワンネスの歌詞は、新しい恋人が相手でした
今回挑戦したいのは 元カノ、元カレ、いえちょっと長い付き合いのひと。
昔のクラスメートでもいい。
何故かというと昔は夢を追いかけていたことにしたい。
実現してても、してなくてもいい(笑)。
だって夢を実現するとかって、エゴです。
だから気づくんです。
「君が君のままでいて、嬉しい」
歌の題名は
「自分を信じる」
自分を信じていないから夢や目標に向かうのです
自分を信じれば今、この瞬間で良いはずです。
だってそうでしょ、
夢や希望は不満から生じます。
だから今回の歌詞は一瞬の情景描写を出したいのです 。
でも、丸一日ブラブラしても歌詞が出てこない。
いえ、正確に言えば歌詞はいくらでも書けるのですがシチュエーションが出てこない。

映画「ワンネス」 生まれ変わりとエゴ

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 昨日の私の書き込みに対して本質的なレスはほとんどありませんでした。でも正面から書き込んでくれた人がいましたので、きょうはそれを掲載します。私もこの考え方とほとんど同じです。
 
「何故か生まれ変わりの村の証言してくださった方々を思い出しました。今が幸せと答えた方が、ブータンの95%を越えて、98%の人たちが今が幸せだと答えたことです。幸福度が高いことはエゴが少ないか、ほとんどないように思いました。死んでも死なない裁きもない因果応報もないという実体験は時空の生死の輪廻に対する信頼を得たように感じました。今が幸せならば夢や希望や目標を掲げることは考えないように感じました。震災直後の日本も一瞬その状態になった気がします。皆が皆を許し助け合い支え合いそこには個のエゴがなかった気がします」
 
 写真は何度も出していますが、生まれ変わりの村です。


映画「ワンネス」 アドラー心理学

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 二日前に「夢や希望はエゴだ」と書きました。かなり過激なフレーズだったようで、その日の、周面からのレスはほとんどありませんでした。翌日(昨日)は、生まれ変わりの村の状況からレスしたくれた人のをそのまま載せました。
 私が「夢や希望はエゴだ」と思うようになったのは高校時代からです。当時、学生運動が吹き荒れていて、私は高校で経験しました。ストライキが繰り返され、卒業式は廃止され討論集会になりました。私はグラス代表に選ばれて、非改革の意見を述べました。生徒の大半は改革派で、夢や希望を実現しようと生きていました。
 その後私はずーと非改革派だったのですが40歳の時に、アドラー心理学に出会います。
 以下、ウイッキを掲載します。
 
『共同体感覚について、まったく初めての人に説明することは難しい。それは、ちょうど、実際に、自転車もなく、また、自転車に乗ったこともない人に、自転車に乗るということについて説明するようなことだからである。
共同体感覚が発達している人は、自分の利益のためだけに行動するのではなく、自分の行動がより大きな共同体のためにもなるように行動する。なぜなら、人間は社会という網の目の中に組み込まれているからである。それに対して、共同体感覚が未熟な人は、自分の行動の結末や影響を予測することをやめて、自分の利益だけしか目に入らないようにする。仮に、極端に自分の利益のことだけにしか関心がない人がいるとしたら、その人は自分の利益になる場合にだけ、他人と協力する/他人を利用しようとするだろうと想像される。そうすると、他人が自分を必要とする場合というのは、他人がその人自身の利益になる場合にだけということになり、安心して所属することが難しくなるだろう。このようにして、共同体感覚の未熟な人は、所属に問題を抱えやすく、不幸な人生を送ることになりやすいことになる』
 
 別の本にはすべての意識はエゴだと言い切っています。
 私もそう思います。
 夢や希望は意識されています。
 本来、無意識から発生したものなら、日常をそのまま生きれば良いです。

映画「ワンネス」 「風立ちぬ」

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 ジブリの「風立ちぬ」を見てきました。
 少々酷評をすることをお許し下さい。
 作品としての出来は素晴らしかったです。
「一日一日を必死で生きる」、「夢を実現する」等々、キーフレーズもバッチリとはまりこんでいました。さすがに宮崎監督です。
 一緒に行った家族は泣いていました。
 しかし私は監督の端くれになってしまったので、制作する側から見てしまいます。
 しかもモデルとなった堀越二郎氏と同じく理系なので、そっちの視点からも見てしまいます。
 堀越二郎氏は普通に結婚し、子供までいました。
 しかし映画では、妻は病気で死にます。
 私は映画が終わってから喫茶店で家族にそのことを話しました。
 家族は言いました。
「そうか・・、長生きした普通の奥さんがいたのなら、家族をかえりみないで仕事に没頭する夫になり、家庭不和の映画になってしまうわね」
 私は知りました。
 映画はここまでやっていいものなのだ・・と。
 しかしなあ、私にはできないなぁ・・。
 一応理系だし、自分の調査結果と違うことは入れたくないなあ・・。
 理系の視点からもうひとつの意見があります。
 理系は夢を追いません。
 理系が夢を追えば、それは理系ではありません。
 理系は真実を追究するものです。
 真実は今ある既成概念とは違うはずです。
 夢を持てば、それは既成概念から作られるからです。
 もちろん色々な監督がいて、良いと思います。
 彼は彼、私は私・・。
 さあ、ワンネスの制作を続けないと・・。

映画「ワンネス」 好奇心

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 映画「ワンネス」の登場人物たちは好奇心が旺盛です。
 何を隠そう、私もそうだと思っています(笑)。
 昨日まで夢や希望を論じてきました。
 夢や希望と、好奇心は、ずいぶんと違います。
 夢や希望は、未来に向かいます。
 好奇心は、今ここです。
 夢や希望は、それ以外を排除する傾向があると思います。
 好奇心は360度開かれています。
(続く)

映画「ワンネス」 生きるということは?

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 つい最近見た映画では、子供の頃から変わらない夢を実現するのが「生きる」ということでした。
 もちろんそういう生き方があっても良いとは思いますが、私は違うのです。
 生命というのは刻々変化するものだと思います。
 それに乗れるか・・がカギだと思います。
 変化したっていいんです。
 いえ、本来はそうあるべきだと思います。
 地球は自転しています。
 それで私たちは秒速500メートルで飛んでいます。
 太陽の周りを公転もしています。
 そのスピードはなんと秒速30キロです。
 さらに太陽系は銀河系の中心を回っています。
 驚くべき事に秒速220キロで飛んでいます。
 宇宙は一瞬、一瞬、変化しています。
「生きる」というのは変化に身を任せることができるかどうか・・だと思います。
(続く)

映画「ワンネス」 神はプロかアマチュアか?

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 実は「ワンネス」の次の映画がスタートしています。
 その関係で色々なところにいきます。 
 僕は主題歌を持って行きます。
 すると言われます。
 
「ワンネスだけでなく次の映画の主題歌も森田さんが作詞するのですか?」
 
「はい」
 
「映画監督が主題歌の作詞までするのは、あまり知らないです」
 
(爆)
 
 夢を実現することを肯定する人に聞きたいことがあります。
 夢を実現したという状態はどういうことですか?
 
 例えば映画監督で賞を取ることでしょうか?
 例えば作詞でプロになることでしょうか?
 例えば素晴らしい飛行機の設計者になることでしょうか?
 
 もっと聞きたいです。
 神はプロですか?
 
 僕の仮説を書きます。
 神はアマチュアなのです。
 だから好奇心が好きなのです。
 みなさん、夢だのプロ意識だのにとらわれて、自分の人生に制限をかけていませんか?

映画「ワンネス」 神も夢を大事にしているのか?

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 夢や希望について、感じていることはまだあります。
 夢や希望は過去の情報から作られると思います。
 過去の情報を元に、未来を作ろうとします。
 しかし私たちはほんの少ししか経験していないはずです。
 大半のことは、未経験です。
 その、大半の未経験を切り捨てて、ごくごく狭い経験済みの世界から未来を作ろうとするのが夢や希望だと思います。
 その行為が「生きる」ことでしょうか?
 私にはさっぱり分かりません。
 もしも神様がいたとして、同じように夢を大事にしているのでしょうか?

映画「ワンネス」 プランニングセンター

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 人生を決めてきたという人もいます。
 モンロー研究所でもそういうセッションがありました。
 ガイダンスが流れます。
「プランニングセンターに行って下さい」
 私だけ行けませんでした。
 その代わり、変なドアが現れて立ちふさがります。
「あなたは誰?」
 を繰り返し問われます。そして
「私は誰でもありません」
 と言ったらドアが開きました。
 その先にプランニングセンターはありませんでした。
 生まれ変わりの村で100人ほどの前世記憶者に聞きました。
「人生を設計するところがありましたか?」
「そういうところはありませんでした」
 これらは私の著書に書いてあります。すると
「生まれ変わりの村の人たちはレベルが低いのです。だからプランニングセンターは現れないのです」
 と言ってくる人がいます。
 そうでしょうか?
 洞穴生活をしているからと言ってレベルが低いとは感じません。
 さてここからが本題です。
 来世をプランニングすることは夢や希望に似ていると思います。
 計画をする時点で過去の情報を使っているからです。
 しかも宿題を達成して次のステップに行くというのは、上下の世界観のような気がします。
 と、ここまで書いて気づくのは、好奇心には上下が無いということです。

映画「ワンネス」 神はスープの情報を隠したかった?

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 きょうは一連の話から少し脱線します。
 モンロー研究所のセッションでは、フォーカス27でプランニングセンターに行けと言われました。
 しかし創設者のロバート・モンローの本を読む限り、彼はプランニングセンターには遭遇していません。
 エドという名の存在がプランニングセンターをやっているという情報を得て探しに行きますが、探し当てることができませんでした。
 プランニングセンターはロバート・モンロー氏の死後、勝手にセッションに加えられたのではないかと推察されます。
 ところでモンロー研究所のセッションでスープを見たという人は誰もいません。
 さて、生まれ変わりの村は中国にあるので基本的な死後思想は仏教です。閻魔大王が裁く世界観です。
 でも生まれ変わりの村で、一度死んで生まれ変わった人は、全員が「裁く存在はいなかった」と証言しています。
 ところで生まれ変わりの村でも臨死体験者はいます。四人にインタビューすることができましたが、その全員が「あの世では裁かれるようだ」と言いました。そして「スープなんてなかった」と言います。
 臨死体験者はモンロー件の体脱と同じだと思います。
 これらの差について
「過去の行いであの世も違うんだ」
 と言う人は多いです。
 しかし調査によれば、完全に死んで生まれ変わった人はほぼ100%、スープを証言します。
 でも死んでなくてあの世に行った人の100%は、スープを見ていません。
 数値がバラけていれば、「過去の行いであの世も違うんだ」と言えるかも知れませんが、数値はあまりにも見事です。
 神はスープの情報を隠したかったのかも知れません。
 だって体脱者に察知されれば、どんどん広がってしまいますから。
 もっと言えば、生まれ変わりの村は、神様から選ばれたのかも知れません。
 洞窟生活でも満足だからでしょう。
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