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映画「和」 企画書その5(続き)

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“和をもって貴しと為すは、聖徳太子が制定した憲法十七条の最初の文章(第一条)です。
 
メッセージ1…「このままで良い」
 
 東日本大震災は負の遺産を残したと言う人が大変に多いです。例えば『がんばろう日本』という標語です。これは「こんな辛い状況でも、強く生きていかなければならない」というメッセージです。『震災の記憶を忘れない』も良く耳にする言葉です。それは辛い経験だったけど、強く生きていかなければならない的な負の遺産の側面が強いです。

映画「和」 妖精はデジタル

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 りさちゃんの家に遊びに行きました。
 りさちゃんの生き方と、妖精の実態についてインタビューするのが目的です。
 その前に、りさちゃんはランチを作ってくれていました。
 僕がキャベツとうどんが好きなのを知っていたので、キャベツうどんを用意しておいてくれました。
 あまりに美味しかったので、りさちゃんの食べ残しまで食べてしまいました。
 美味しかった理由のひとつは、キャベツを手でちぎっていたことです。僕は今まで包丁で切っていました。けれど手でちぎれば、手のパワーも入ると思います。
 さて、りさちゃんに2時間ほどかけて、色々聞きました。
 その結果、僕の仮説が浮上しました。
 それは・・
 妖精はデジタルの世界に存在しているのです。
 デジタルだからこそ、一般の人には見えないのです。
 普通の目はアナログにしか対応できないからです。
 妖精がデジタルだというのは、今までの妖精観と180度ずれるかも知れません。
 でも、この三次元の自然界はすべてアナログです。
 物理の方程式はすべてアナログです。


映画「ワンネス」 サブカルチャー

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 この女子は速水ゆかこさんと言います。
 映画「スープ」の最後に天使の羽根をつけて出演しています。
 映画「ワンネス」でもやはり天使の羽根を付けて出演しています。
 いまごろなぜ私と会ったかというと、ワンネスのサブカルチャーを担当することになったからです。
 サブカルチャーは、オタク文化のことです。
 昔はオタクといえば、マイナーでした。
 ところが今は、メインカルチャーを追い越す勢いです。
 昨日は、妖精はデジタルだと書きました。
ワンネスのサブカルチャーもデジタルなのです。
速水ゆかこさんはフェイスブックもやっています。
https://www.facebook.com/yukako.hayami.5?ref=ts&fref=ts

映画「和」 企画書その6(続き)

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 日本人が駅の階段に並んで寝たり、暴動にならなかったりして、外国から賞賛されたことは正の遺産です。しかし当の日本人が忘れていることです。多くの人は今のままの日本人でいいという意識はほとんど無いと思います。変わらなければいけない、もっと成長しなければダメだと思っている日本人が大半です。
 このドキュメンタリーは日本人の良さを再認識してもらうことがメッセージのひとつです。
 東日本大震災のことは映画の中では一切語りません。

映画「ワンネス」 主題歌歌手と初めて会いました

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 この写真は、主題歌歌手と会うときには、この格好で良いかを、カメラ試験したものです(爆)。
 まあまあ…ということになりました。
 そのあと主題歌歌手と初めて会いました。
 彼女は理科系の学生でした。
 電子の研究などをしています。
 一時間半ほど話しました。
 デジタルの話もしました。
 電子は陽子の周りを回っていますが、その軌道がデジタルだというのです。
 確かにそうでした。
 電子はエネルギーを受けると、ポンと外の軌道に移ります。
「ポン」です(笑)。
「ジワジワ」ではありません。
 つまり電子の世界は、デジタルに近いのです。
 おおもとの世界がデジタルだとすれば、電子はその境界付近に存在しているのかも知れません。

映画「ワンネス」 リアリティの無さがリアリティ?

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 映画会社から『ワンネス・キャラ入り・オフライン』というDVDが届きました。
 何の意味かよくわかりません(笑)。
 オフラインとは何かと聞けば、「素」の状態で繋いだ映像だそうです。
 ああ、つまり、効果音とかBGMが切り離された状態のものをオフラインと言うのだと推定しました。
 キャラ入りというのは判明しません。だって五行キャラである翼竜とかが全然出てきてないですから。
 というわけですがDVD再生機に入れて見ました。
 映画「ワンネス」の本編を「素」ではありますが、通して見ました。
 その感想は・・
 リアリティがない(爆)
 映画監督がこんなことを書いていいのか分かりませんが(笑)、自分の作品にはリアリティがないです。
 普通、映画はリアリティを追求するものです。
 どでかいセットを作ったりします。
 俳優の迫真の演技を見て
「ああ、この心理状態、わかるわ」
 と言って泣きます。
 ところがワンネスは逆です。
 セットがメチャメチャ簡素です。まあ、低予算だということもありますが(笑)。
 それにしても金庫室はガラガラ(笑)。
 主人公は異次元に飛ばされますが、そこにはバランスボールがひとつあるだけ。
 迫真の演技があるのかと言えば、主人公はバランスボールで遊ぶのに夢中。ヒロインから
「ここに飛ばされたこと、動じてないの?」
 と怒られる(笑)。
 載せた写真は、冒頭のシーンで監督自身が出演しているのですが、ここで展開されるシーンは普通ではあり得ないです。
「ああ、この心理状態、わかるわ」
 とは、絶対に、なりません。
 つまりワンネスという映画にはリアリティが無いのです。
 しかし・・です。
 驚くべきコトに、監督はこういう指示書を書いています。
 
シーン3銀行二階階段
脚本通りに編集がされましたが、ここで変更します。
警官の銃が暴発したところで場面は容子の唇のアップに移ります。
つまり以下の部分はカットです。
『警官「しまった」
相棒が駆けつける靴音。
相棒「どうしたんですか?」
警官「救急車を呼べ」
女子行員は可愛い腕時計をしている。携帯を持つ手が胸のところにある(あとで智也が飛び込むため)。』
 
 なぜカットしたかというと、リアリティが出すぎてしまうからです。
 次の指示も書きました。
 
シーン11大学のゼミ
水島教授の「なんか不安になってきちゃった」はカットです。なぜかというと、水島の心の状態が表現されすぎているからです。
 
 実は監督である私自身が初めて気づいたのです。
 ワンネスという作品は、わざとリアリティを消しているのではないか…と。



映画「ワンネス」 これは、やらせか?

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 冒頭シーンの続きです。
 少年と私が映っています。
 どう見ても、マジとは思えません。
 はい、私は笑っています。
 昨日は、リアリティが無いと書きました。
 きょうは、それどころではありません。
 リアリティの無さ通り越して、やらせとも言えます。
 しかしです、他の映画は、嘘を、わざとリアリティがあるように見せているのではないでしょうか?
 元々は嘘なのだから、やらせと思われたほうが正直ではないでしょうか?(笑)
 こうして考えると、ワンネスという映画は、テーマが変わっているだけではなく、作り方も変わっているように感じてきました。
 実は監督の私自身、こういうことに気づいていませんでした。
 昨日から感じ始めたことを書いています。

映画「ワンネス」 ひとり歩きを始めた

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「キャラ入り」というのをネットで調べたら、「画面にタイムコードをスーパーインポーズした状態のこと」だそうです。
 なんとかしてよ業界用語(笑)
 なんでタイムコードがキャラなんだ?
 さて、リアリティが無いという件で、ワンネスの映画制作者関係に以下のメールを送りました。
 
ワンネス・キャラ入りオフライン初版を見た感想 
                    2013.7.8 森田健
 ワンネスは、シュール(超越的あるいは非現実的)な映画になっていました。
 実は、監督である私自身が、ワンネス・キャラ入りオフライン初版を見て、初めて気づいたことです。
 例えば冒頭のシーンですが、普通ではパトカーに水鉄砲を向けることなど、あり得ないです。
 新撰組のシーンも普通の時代劇の重さが無いです。
 何の前触れもなく天使が出てきてオカマと言い争いをしていますが、相手が天使であることは問題にされていません。
 こうして考えると、金庫室がガランとしてリアリティに欠けるのも、問題無くなると思いました。
 逆に言えば、リアリティがなくシュールな点は、ワンネスの利点だと思います。
 ワンネスを見に来る人は、人間関係の内側のドロドロとしたものを期待したりすることはなくなり、宇宙全体を取り巻く根源的な問題を考えることになるからです。
 そうかと言って、ファンタジックなものだけの作品ではありません。ファンタジックなものは、現実との接点が間接的ですが、ワンネスは実は、現実との接点を深く取り上げている作品だとも言えます。
 ノーカットのシーンが多いですが、これもプラスに働いていると思います。
 ワンネスの特徴の中に「シュール」というのは、加えたいと思います。そのうち文章化します。
 とりあえず、今の気づきを書きました。
 
 関係者に送ったメールは以上です。
 私自身は、自分の作品がシュール(超現実的)なものだと思ってもいませんでした。
 それは原作者であり脚本にした者であり監督でもあったからだと思います。
「ワンネス・キャラ入りオフライン初版」で、初めて外側から作品を見たのです。その結果、私から分離して、一人歩きを始めたのです。

映画「ワンネス」 映像背景曲

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 映像背景曲を作る人が決まりました。
 ワンネスの映像背景曲には、ちょっとした特徴があります。
 最初から主題歌のイントロが出てきます。
 えー、ナンダヨ、それだけかよって、はい。そうです(笑)。
 ドボルザークの「新世界より」は、メインテーマが少しずつ出てきて、最後は盛り上がります。それに似るつもりです。映画の劇中に、主題歌の演奏部分が何度も出てきます。
 テレビドラマではたまにありますが、意外に映画では少ないです。
 映画の場合、主題歌は別途に作られるときが多いからだと思います。
 
 ワンネスではなぜイントロを繰り返し使うのかといえば、映画のテーマに関わっているからです。
 ヒロインが言います。
「循環しているから本当の敵はいないの」
「循環しているからまた会えるわ」
 人生は一度きりではありません。
 なので主題歌も最後に一度きりではありません(笑)。

映画「ワンネス」 シュール(超現実的)

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 ここ数日間に渡り考え続けてきた件ですが、映画ワンネスの特徴として以下を付け加えした。
 
シュール(超現実的)
 
 映画ワンネスは、シュール(超現実的)です。画像はミニマムにしか表現されていません。巨大なセットを使いリアリティを追求する昨今の映画と一線を画しています。
 映画ワンネスでは電子(原子のひとつ)の世界が出てきますが、原子の種類は元々数えるくらいしか存在していません。それらが組み合わさって多様な世界が作られているのです。そして現実世界はすべてアナログです。
 アナログの世界をいくらリアリティを持って描いたとしても、それは「結果」の世界を描写しただけであり、「原因」にはたどり着けないと思います。
 東洋は見える世界よりも見えない世界を大事にします。ワンネスがシュールなのは、原因の世界に迫ろうとしたからです。

映画「ワンネス」 循環

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 昨日に引き続き、ここ数日間に渡り考え続けてきた件で、映画ワンネスの特徴として以下を付け加えました。
 
 東洋には生まれ変わりの思想があります。それは一度きりで終わらず、循環を意味しています。ヒロインは映画の中で次のように言いました。
「循環しているからまた会えるわ」
 同じく東洋の陰陽五行も循環を意味しています。ヒロインは映画の中で次のように言いました。
「循環しているから本当の敵はいないの」
 それだけではなく、映画の後半は、ふたたび最初の場面に戻ります。
 映画の背景音楽も同様です。主題歌のイントロが劇中に何度か流れます。
 これらはすべて、映画のテーマのひとつである「循環」を表現しているからです。

映画「ワンネス」 無意識

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 二回に渡り、ワンネスの特徴を述べました。
 でも、自分では屁理屈だと思っています(爆)。
 だって映画は理屈で見るものではないからです。
 映画は感情で見るものだと思います。
 別の言葉で言えば、映画は意識で見るものではなく、無意識で見るものだと思います。
 同じように、私たちは意識で生活しているわけではなく、無意識で生活していると思います。
 いかがでしょうか?

映画「ワンネス」 言葉にできない。

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 ワンネスではすべてを言っていません。
 だからこの映画のテーマのひとつが外応をキャッチすることだということに、気づかない観客が多いはずです。
 映画の半分以上に渡り、登場人物や動物キャラにオーラが出ますが、その色が変わります。
 でも言葉による説明は無いので、色の意味がまったく分からないと思います。
 アニマ(ヒロイン)が自己紹介をする場面があります。
 無意識に潜む女性部分とか・・。
 難しい言葉が続くので、主人公(智也)には、バランスボールで遊ばせます。
 
 ところで私たちは日常生活で、すべてを言葉にできるでしょうか?
 なぜ今、これをやっているのか?
 なぜ自分は、これが好きなのか?
 恋愛でもそうだと思います。
 相手をなぜ好きなのか?
 実は、言葉にできないのではないでしょうか・・。

映画「ワンネス」 私たちに見えているのは現在と過去

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「ワンネス・キャラ入りオフライン初版」の前半をウエブカメラで公開して、数人に見てもらいました。
 その感想を読むと、監督が作ろうとしたものは、よく表現できていたようです。
 ひとつが、カメラをバックしながら撮ったことです。
 これは私たちが生きていく時と同じだと思うからです。
 私たちに見えているのは現在と過去だけです。
 一寸先は闇かも知れないし、光かも知れませんが、見えません。
 だとすれば、カメラはバックで撮るべきです。
 「ワンネス・キャラ入りオフライン初版」の前半見た人の感想は
 
「最初、逆再生しているのかしらと思ってなんだか不思議な感覚になりました」
 
「カメラが後退していくので何かフイルムが逆回転しているような…、でも人々の動きはスムーズで見たことがない映像だと思いました」
 
「パトカーの後ろの窓からの撮影は本当に斬新で、とても面白い映像だと思いました。普通だと景色は横から後ろに過ぎ去っていくのに、景色が後ろに引いていって、最初の瞬間、どこからの景色なのか、自分の立ち位置がわからないような感じがしてクラッとする感覚がありました」
 
「智也がゼロ次元に飛ばされて、アニマの足からのカメラアングルで、足から映すのかーという驚きがあってドキドキしました」
 
「カメラがバックしながら撮った映像からの場面の展開がすごくいいなと思いました。観客も、一緒に場を変えられたような・・不思議な感覚になりました。容子が研究室に入って行く時、容子の目線の先ではなく、ずっと容子の様子を映しているのが、すごく緊張感が伝わって来て、よかったなと思いました」
 
 このように、カメラを後退させながら撮るというのは、成功したようです。
 でも撮影は結構大変なんですよ。
 レールを敷けば安定して撮れますが、真後ろを撮るので、敷いたレールが映ってしまうので使えません。
 となるとカメラを手持ちにして下がりますが、カメラマンは後ろが見えないので補助する人が必要になります。
 しかも目指す主人公はずっと後ろにいます。
 三部屋後退してやっと主人公にたどり着きますが、他の映画では元々、主人公に狙いを定めて近づくと思います。
 でもそれは、私たちの生き方ではないはずです。

映画「ワンネス」 今が大事

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 「ワンネス・キャラ入りオフライン初版」の前半をウエブカメラで公開して、数人に見てもらったことは、昨日書きました。
 また感想文が届きましたので、公開します。
 
「ヒロインの容子さんは拳銃の暴発に倒れたとき、主人公の智也さんに対して、生まれ変わるまで会えなくなるの、そんなのいやだというところにとても考えさせられました。今までの生まれ変わりは、ソウルメイトとか今関係している人とは縁で結ばれているから、今世でやり残したことがあったら次の来世でやればいいというふうに考えていましたが、容子さんの様子とセリフから、今の智也さんは今しか存在しないのだという、『今しかない』をとても感じました。この世でクラスメイトとして生まれたことがものすごい縁を感じ、その縁は今しかないから今ご縁がある人と精一杯に今しかないということを考えたときに生きるということは今しかない気がして、自分を出し切り相手に与えることに躊躇している暇などない様子を容子さんに感じ、とても感動しました」
 
 私は、この視点を意識していませんでした。
 なぜなら原作の基本部分は1990年に書いたからです。
 当時はまだ、生まれ変わりの調査をしていませんでした。
 
 きょうの感想文は、原作と生まれ変わりのデータを合体させた次元に昇華させてくれました。
 以前話題にしたように主人公はタイムマシンで行き来したわけではありません。
 全員の時間が戻るので、主人公にだけ有利に働くわけではありません。
 しかし主人公はヒロインを生き返らせます。
 理屈を超えている部分かも知れません。
 でもやはり、あえて言えば「今しかない」のだと思いました。

映画「ワンネス」 引き寄せの法則

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 映画撮影のイチコマです。
 みんなは真剣にやっているのに、監督の私だけが笑っています(笑)。
 こうして撮影中、私だけが高笑いしている時が多かったです。
 でも、それがこの映画を良くしていると思いました。
 このシーンはシリアスな場面でした。
 でも出来上がった画像をみれば、ちっともシリアスではないどころか、笑いすら取っています(笑)。
 完璧にシリアスだけの場面というのは、この映画にはありません。
 なぜならワンネスだからです。
 何かを否定すれば、逆にそれを引き寄せてしまいます。
 この映画には多くの要素があります。
 恋愛の要素、SFの要素、時代劇の要素、人間の内面の要素、そしてサブカルチャーの要素です。
 ひとつの要素を否定すれば、マイナスなエネルギーとなって降りかかってくるのが引き寄せの法則です。
 ところで笑いのエネルギーは最も高いと思います。
 笑いのエネルギーはあらゆるものに優先します。
 天照大神が岩戸に隠れてしまったとき、世界は暗黒になりました。
 でも日本の神々はパニックになるどころか、外で大笑いを始めました。
 自分も笑いたくなった天照大神が岩戸の中から外をのぞきました。
 笑いが日本を救った瞬間です。
 私の祖母は「人は鏡だよ、自分が笑えば向こうも笑う」と言いました。
 祖母が言った最大の名言です(笑)
 監督が不安になれば、俳優の演技もショボくなると思います。
 監督が笑えば俳優は全開で演技すると思います。
「ワンネス・キャラ入りオフライン初版」を見ていると、そんな風にも感じました。

映画「ワンネス」 人の話をどういう顔で聞くか

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 主人公の智也がバイト先の新撰組資料館で小学生たちの質問を受けるシーンは、脚本では次のような注意書きがあります。
 
『森田注:小学生とのやりとりの時、質問者である小学生は背後から撮影し、正面に質問をされる側の智也をとらえる。智也が答え始めるとカメラは智也の背後から、聞いている小学生をとらえる。そのために智也はしゃがみ込み、質問者である小学生に同じ高さで向き合う。なぜかというとこの映画は外側からの信号の受け身がテーマのひとつだからです。質問者にカメラを合わせると、主体的に生きようとする映画になってしまいます。但し、喋り終わる少し前に発言者に振る。そしてその人を撮し続け、相手が喋り終わる頃に相手に振る。2対8の比率で。智也の立ち位置も前屈みになったり、小学生の横から小学生の背中に触れながら顔を横から近づける、とかを混ぜる』
 
 考えてみれば、私たちが日常生きているのもこれに似ています。
 大半は外からの信号を受けています。
 みんなと話すときも、人の話を聞いているときのほうが長いです。
 
 にも関わらず、一般的に映画は喋る側を撮っています。
 見終わった後、自己主張が続いたことに、なんか疲れが残らないでしょうか?
 
 昨夜、ワンネスのシーンをもう一度見ました。
 質問をされる智也の顔が映し出され、それが実に優しい顔なのです。
 それを見るだけで、癒されます。
 
 私たちは主体的に生きることをヨシとされてきました。
 でも、人の話をどういう顔で聞くかということも、とっても重要だと思いました。

映画「ワンネス」 『低予算映画を大作に変える撮影術』

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 ワンネスの映画の話が来たとき、まずは映画に関する本を読みまくりました。
 映画業界には身を置いていなかったので、机上の論理だけでも知っておかなくてはと思ったのです。
 ハリウッドの人が『低予算映画を大作に変える撮影術』という本を書いていました。
 これはまさにピッタリの題名です(笑)。
 写真はその本のヒトコマです。
 ドリーというのはレールのことです。
 二本のレールを敷き、その上にカメラを置いて、次第に接近しながら撮るのです。
 主人公の智也とヒロインの容子が校庭のベンチで、映画の中では初めて会う、というシーンに使おうと思いました。
 映画を見ている観客は、ふたりの関係がまだ分かっていません。
 でも「好きだ」とか言うのではなく、別の形でそれを伝えたいと思っていたら、このページにぶつかったのです。
 おそらく二台のカメラを次第に遠ざけていれば、疎遠になることが表現できるでしょう。
 このようなレールを使いたい理由は、もうひとつありました。
 このシーンで交わされる会話が、たわいもないものでからです。
 普通に撮れば、「飽きること」を誘うシーンになってしまいます。
 それこそ、低予算が低予算のまま終わってしまいます。
 このシーンのために一週間前、俳優には何度もリハーサルをさせました。
 お互いの目をそらす練習と、お互いの目と目を合わせる練習です。
 こうして本番に臨みました。
(続く)
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<a href="/jpeg/低予算映画を大作に変える撮影術.JPG">

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映画「ワンネス」 『低予算映画を大作に変える撮影術』2

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 撮影当日がきました。
 この日、機材車の到着が一時間も遅れて、学校の使用期限の17時までに撮り終われない可能性がでました。
 なのでスタッフからはレールを使った撮影はやめようという話が出ました。
 普通なら監督はオールマイティですが、なにしろ未経験者です(笑)。
 みんなの指示に従います。
 しかし「それでもやろう」と言ったのは撮影技師でした。
 レールの設営が開始されました。
 その写真を出しましたが、私だけ笑っています。
 そりゃあそうです。
 楽しくてしかたありません(爆)。
 でもレールは一本しかありません。
 カメラも一個しかありません。
 机上の論理のようにはいかないものです。
 ところで私は事前に絵コンテを作り、スタッフ全員に配布してあります。
 監督が撮りたい絵を全部書きました。
 しかし実現したのは8割です。
 一般的に「こだわる監督」の話はよく聞きますが、私はそうではありませんでした。
 2割は採用されませんでしたが、笑顔で承諾しました。
 今から思えば、その2割は私が考えた撮影法を超えていました。
 これは生き方についても言えると思います。
 自分のやりたいことを100%主張する必要はないと思います。
(続く)


映画「ワンネス」 『低予算映画を大作に変える撮影術』3

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 レールを設営しているところの写真ですが、昨日のとはシャッターを切った角度が違います。
 注目していただきたいのは俳優が座っているベンチの方向です。
 本来は右の垣根のような植え込みと平行でした。
 なぜベンチの角度を変えたのでしょうか?
 それは後ろにある小学生用の遊具(ゆうどうえんぼくとジャングルジム)です。
 ベンチが本来の位置にあり、レールを斜めに敷くと、遊具を背景として映り込んでしまうのです。
 このベンチのシーンは50秒です。
 50秒間にも渡り、背景にジャングルジムがあるとすれば、かなり気になるはずです。
 成蹊大学は小学校から大学までひとつの敷地にありますが、そういう学園は他にはほとんどありません。
 高校の敷地にジャングルジムって?…俳優を見るのではなくジャングルジムを見つめてしまいそうです(笑)。
 というわけでベンチの角度を変えました。
 でも弊害もありました。
 いままで見てきた背景との整合性が崩れるのです。
 しかし「なんか変だ?」と思っても決め手になるブツは見えません。
 何が言いたいかといえば、昨日と同様にここでも「8割の法則」が働いているのです。
 おそらくアニメは10割に近く上がると思いますが、実写映画はロケの場所が計画したものにならず、常に8割だと思います。
 そのとき不満に思うか、満足を感じるかは、まるで人生そのものだと思います。
 いえ、人生は8割どころかもっと下がると思います。
 あなたは何割だと不満を感じるようになるのでしょうか?
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