スイカ、食ってます
まだ種は白いです。つまり収穫時期よりも早いです。しかし・・ハクビシンに対する競争意識が抜けなくて(笑)、やつらより早く食ってやるぞという気満々です(笑)。でも、若いスイカもウメーです(笑)。
View Articleサトリとは? 鈴木大拙の教え
生死の問題とか、どこから来てどこに行くかという問題に面と向かう時、知性はこの問題には手も足も出ないことを告白せざるを得ない。(うーん、別に告白しなくても良いけど(笑))
View Articleサトリとは? フロムの教え
フロムは鈴木教授の言った例えを述べています。「真理を身につけようとされますか?」「はい」「どうするのですか?」「飢えては食い、疲れては寝る」(おお、フロムも感動したんだ(笑)。腹が減ったら飯を食う…に(笑))
View Articleスイカはどんどん実ります
会社に持って行ったり、知人に配ったり、道行く人に上げたり(笑)。もちろん家の冷蔵庫にもいっぱいあります(笑)。こんな大きなタマタマがどうしてできるのか、とっても不思議なんだけど、取りあえず食い気です(笑)。
View Articleサトリとは? 鈴木大拙の教え
生死の問題とか、どこから来てどこに行くかという問題に対して知性は手も足も出ないのは、知性自体の中では解決できない難問が含まれているからである。(しかし多くの人々は、そこに気づいていないような感じもします)
View Articleたけし君の感想
(ディスクが壊れて、いつもと違うけど(笑)) サトリに関してフロムと鈴木大拙を読んだのは学生時代です。何かホッとしました。だってこのままでいいじゃんって(笑)。
View Articleたけし君の感想2
アダムとイブはリンゴを食って罰せられました。しかしフロムは言います。その人の成長はどれだけリンゴを食ったかで決まると(笑)。そしてリンゴは一生かかって食い続けろと。ガブッ、ガブッ・・みたいな(笑)。
View Articleサトリとは? フロムの教え
鈴木教授の例えの続きです。「飢えては食い疲れては寝るなどは誰でもすることです」「否」「なぜ違うのですか?」「彼らは純粋に食っていない、食うことに対して、いろいろ考えているからです」(僕は他の人と食いに行った時、必ず相手に合わせます。自分のメニューを注文したことは一度もないです。食えればそれでいい(笑))
View Articleサトリとは? 鈴木大拙の教え
生死の問題とか、どこから来てどこに行くかという問題に対して知性は手も足も出ないのは、知性の前に、“銀山、鉄壁”が大きく立ちはだかる。(銀山に目が奪われ、人は三次元の世界に行ってしまうのかも(笑))
View Article雑草の実験地(笑)
左は草ボウボウです。雑草の実験地なのです。だって畑一面に黒シートが張られて自然にまかせる部分がないと、つまらないじゃないですか(笑)。その後、かゆいかゆいの原因がここから発生することに気づきます(笑)。
View Articleサトリとは? フロムの教え
一般の人は不安や貧欲や恐怖により、たえず空想の世界にいて(それについて気づいていないのだが)その中で彼は自分の投影した性質、それは現実にはないものだが、その性質で世界を包み込む。(当時の僕が線を引いている)
View Articleストッパー
池がいっぱいになったとき、ここから水が外に出ます。でもめだかチャンを食い止めるために、ネットでストッパーを作りました。ハクビシンに食べられた自慢の看板はまだあります(笑)。
View Articleサトリとは? 鈴木大拙の教え
知性の前に立ちはだかる“銀山、鉄壁”に対して道はただひとつ、それに向かって全存在をあげてぶち当たっていくことのみ。(ジジイ、表現が過激派です(笑)。僕の場合はぶち当たることを楽しんでいますが(笑))
View Article夜光石
池にカラフルな石を入れました。夜光石と言われ、夜、本当に光ります。メダカにとってエネルギー的にも良いと思いました。けれどその後、この上に赤土を入れるので夜光っても見えなくなりました(笑)。
View Articleサトリとは? フロムの教え
腹が減ったら飯を食うのフレーズは、それが取り交わされた時代にも真実であったが、それ以上に極端に今日ではそれが真実になっている。(当時の僕が線を引いている)
View Article味噌で食うキュウリ
グオオ、昭和の味だぁぁぁ(笑)。長いキュウリ、スーパーには売っていないけど、メチャうまいです。昔我が家では味噌を自宅で造っていました。ても今はそれは出来そうにありません。スーパーのご厄介になります(笑)。
View Articleサトリとは? 鈴木大拙の教え
禅家の言葉で言えば、「百尺竿燈さらに一歩進めよそして頂上から一気に手を撤じていっさいの自己をかえりみぬな」ということである。(百尺竿燈(かんとう)とは仏教用語の色彩が濃く、到達しえた極地よりさらに努力して前進することをいう…です。撤じてとはかえりみぬこと。自己をかえりみることはやはりサトリの逆みたい)
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