福沢諭吉がFREEDOMを自由と訳したことは、昨日書きました。
自由とは、自分に理由があることだそうです。
それまでは生まれた環境に理由がありました。身分制度が決まっていたからです。
しかし今は違います。農民に生まれても商人にもなれるし、政治家にもなれます。
西洋人が書いた「原因と結果の法則」は大ヒットしましたが、やはり原因は自分です。
世界は自分が創り出しているとまでいう人も出てきました。
自分の意識が世界をコントロールできるという意味でもあります。
しかし「和」の公式ホームページにはこう書いてあります。
「意識は無意識の支配下なのか?」
もしそうだとすれば話は違ってきます。
意識が主体になれません。
これは脳科学者の間でも実験的に証明されつつあります。
「自由は幻想にすぎない」という脳科学者もいます。
しかし日本人は元々そういう思想を持っていたはずです。
日本人は、自分が…自分が…と主体が前面に出るのは好きではありませんでした。
あいまいな表現を使うのも日本人の特徴でした。
西洋の本には「自分の好きなことをしなさい」と書いてあります。自由が前面に出た思想です。
でもそういう生き方にどこか付いていけないのも日本人でした。