高校紛争の件は本日で終わりにしたいと思います。
なので、まとめをします。
私の高校は穏便でした。
もっと激しい高校は沢山ありました。
バリケード封鎖をして機動隊が導入され、新聞に載る高校もありました。
私の高校は二学期の授業が無くなり、期末テストも無くなった…その程度です。
しかし15年経って「負の遺産を分析しなくてはならない」という本が教師によって出版されました。
なぜでしょうか?
私の仮説を書きます。
私の高校はユートピアだったのです。
すでに書いたように当時の都立高校の中では唯一の服装自由高でした。
出欠も取りません。
一年から二年になるときクラス替えがありましたが、学校側が生徒の投票に託しました。
極めて民主化されいた高校でした。
しかしそんなユートピアでも紛争が起こったのです。
生まれ変わりの村の写真もう一度出します。
洞窟生活をしています。
それに比べて私たちは文化的な生活をしています。
これ以上改革、あるいは前進する必要があるでしょうか?
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