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映画「生まれ変わりの村」・・自分自身を審判することさえ許されないだろう

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「神との対話」の続きです。
 神は言います。
「カルマが、発展したいという内的欲求をさすのであれば、そしてその物差しとして過去の出来事や経験を眺めるということであれば、カルマは存在する。だがそれは何かを要求するものではない。要求されることは何も無い」
 今まで言われてきたカルマは、何だったのでしょう。「カルマはある」と人に説教するとき、まるでその人は裁く神のようでした。さて裁きについてです。
  
 神は言います。
「死後も審判はない。あなたは自分自身を審判することさえ許されないだろう(この世でのあなたがどほど自分に批判的で、厳しいかを考えれば、あなたはきっと自分にからい点をつけるだろうな)」
 ははは、神様、よく分かっています。成長するという意識は実は現状否定なので、今の自分に批判的なのです。
 自分自身を審判することも許されないだろうって、これはすごい言葉です。反省さえも、しなくていいんです。


 

映画「生まれ変わりの村」・『よろしい』とか『だめだ』と言う者は誰もいない。

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「神との対話」の続きです。
 神は言います。
「審判はないと言うよりも、決算は無い。『よろしい』とか『だめだ』と言う者は誰もいない」
 これはすごい!!
 どんな宗教でも天国と地獄に分けるのは神様でした。
 神様が見ていると思うから、人知れず善行もするのでした(笑)。

映画「生まれ変わりの村」・・審判をしたがるのは人間だけだ(その1)

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「神との対話」の続きです。
 神は言います。昨日のフレーズから書き込みます。
「審判はないと言うよりも、決算は無い。『よろしい』とか『だめだ』と言う者は誰もいない。審判をしたがるのは人間だけだ」
 ゲーーーー
 逆だと思っていました。
 人間は審判を恐れ怖がり、しかし受け入れるだけだと思っていました。
 そして神はだけが審判をしたがるのだ・・と。
(このシリーズは少し続けます)

映画「生まれ変わりの村」・・審判をしたがるのは人間だけだ(その2)

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「神との対話」の続きです。
 神は言いました。
「審判をしたがるのは人間だけだ」
 この神の一言は、僕にとっては衝撃です。
 人間は平等に向かっていっていると思っていました。
 ところがそうではなかった。
 じゃあ一体なんなんだ?
 人間だけが人に優劣をつけてレッテルを貼りたがるのです。
 こうしないと落ち着かない動物なのかも知れません。

映画「生まれ変わりの村」・・審判をしたがるのは人間だけだ(その3)

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「神との対話」の続きです。
 神は言いました。
「審判をしたがるのは人間だけだ」
 神の発言は深いと思います。
 多くの人は社会を良くしようと思っています。
「世の中が良くなるように祈ります」
「世の中が良くなるように法制度をしっかりしなければならないと思います」
 等々・・。
 しかしそれは、自分を外に置いているような気がします。
 改革を思う心の根底は、審判だと感じます。
「私はそういう人ではない」・・と。
 つまり自分を差し置いて世の中が悪いと言っているわけです。
 神が審判をしないのは、神が思い上がっていないからかも知れません。

映画「生まれ変わりの村」・・審判をしたがるのは人間だけだ(その4)

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 「神との対話」の続きです。
 神は言いました。
「審判をしたがるのは人間だけだ」
 これは、人は自分の価値観で他の人を裁くことを言っています。
 同様なことは祈りにも言えます。
 私は祈りほどのエゴは無いと思います。
 世界に60億の人間がいるとすれば、私は60億分の一のはずです。
 もしも神が祈りを聞き入れるとすれば、そのバランスが崩れます。
 それぞれの人はそれぞれの思いを持って生きているのに、祈りは、神という「増幅器」を使い、それを自分の思いのために使用するのです。
 これほどのエゴはありません。
 私が神に目覚めたのは高校生です。
 それ以来、一度も祈ったことはありません。

映画「生まれ変わりの村」・・審判をしたがるのは人間だけだ(その5)

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「神との対話」の続きです。
 神は言いました。
「審判をしたがるのは人間だけだ」
 神はこのようにも言いました。
「審判はないと言うよりも、決算は無い。『よろしい』とか『だめだ』と言う者は誰もいない」
 もしも審判をするとすれば、価値基準が必要です。
 神はひとつの価値基準に収束することを嫌がっていると思います。

映画「生まれ変わりの村」・・審判をしたがるのは人間だけだ(その6)

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「神との対話」の続きです。
 神は言いました。
「審判をしたがるのは人間だけだ」
 今マスコミでは多摩川の河原で起こった少年の殺傷事件がさかんに報道されています。
 主犯格は18歳ということで、コメンテーターたちも「今回の彼は厳罰に値する。少年法を改正して年齢を引き下げろ」と意気込んだのが多いです。
 でも私がたまたま見たワイドショーでは「死刑を廃止した国は凶悪犯罪が増えると思えばそうではなく、逆に減っているのです。これはデータなのです」と言っていたIT関係のコメンテーターがいました。
 そのあと彼は、やり込められていましたが。
 法律はどんどん出来ますが、廃止される法律は本当に少ないです。
 つまり人間同士による「審判」がはびこってきて、がんじがらめの世の中になりつつあるのが現状だと思います。
「審判をしたがるのは人間だけだ」という神の一言は、本当に奥が深いと思っています。 

映画「生まれ変わりの村」・・審判をしたがるのは人間だけだ(その7)

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「神との対話」の続きです。
 神は言いました。
「審判をしたがるのは人間だけだ」
 昨日は、「死刑を廃止した国は凶悪犯罪が増えると思えばそうではなく、逆に減っているのです。これはデータなのです」と言っていたコメンテーターの話をしました。
 同様なことは、死後の審判でも言えるのかも知れません。
 あの世での審判がないことが広がれば、かえって犯罪は減る・・ような。
 そうだとすれば人間は、あの世での審判を創り出し、この世の犯罪さえも創り出しているのかも知れません。
「審判をしたがるのは人間だけだ」という神の一言は、本当に奥が深いと思っています。 

映画「生まれ変わりの村」・・審判をしたがるのは人間だけだ(その8)

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「神との対話」の続きです。
 神は言いました。
「審判をしたがるのは人間だけだ」
 涅槃(ねはん)に行きたいとか、行けるとか言う人がいます。
 審判があるとすれば、自分は最上位を目指すというわけです。
 これだってトップ3に入るくらいのエゴで、しかも放漫です。
 なんでそこまで自分を過大評価できるのでしょうか。
 もしも時空にそんな制度があるとすれば、私は一番最後にしてほしいと言うつもりです。

映画「生まれ変わりの村」・・審判をしたがるのは人間だけだ(その9)

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「神との対話」の続きです。
 神は言いました。
「審判をしたがるのは人間だけだ」
 なぜ人間は審判をしたがるのでしょうか。
 私の仮説は、自由が怖いからだと思います。
 法制度を作るのも、自由が怖いからです。
 涅槃に行きたがるのも、自由が怖いからです。
 だから今回の神の一言に私は注目したのです。

映画「生まれ変わりの村」・・審判をしたがるのは人間だけだ(その10)

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「神との対話」の続きです。
 神は言いました。
「審判をしたがるのは人間だけだ」
 なぜかと言えば、人間は自由が怖いからだと書きました。
 自由から逃げたいことが目的で、私たちは生きているところがあります。
 神が審判をしてくれれば、その価値観に合わせればよいからです。
 カルマという考えも、自由が怖いからでしょう。
 過去に原因を作れば、それで着地できるからです。
 でも神は、それではダメだと言っていると感じます。
 審判などという概念から脱却してはどうか・・と。

映画「生まれ変わりの村」・・審判をしたがるのは人間だけだ(その11)

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「神との対話」の続きです。
 神は言いました。
「死後も審判はない。あなたは自分自身を審判することさえ許されないだろう(この世でのあなたがどほど自分に批判的で、厳しいかを考えれば、あなたはきっと自分にからい点をつけるだろうな)」
 人間は自由が怖いからだと書きました。
 これは日々生きている中でもそうです。
「こんなことをしたらどう思われるだろう?」
 表現することがとても大事なのに、それすらも世間の目を気にしてしまう。
 これも外の基準を自分に当てはめて、自分を律してしまうからです。
 幼稚園の頃、お昼寝の時間がありましたが、男の園長先生が見回りに来るとみんな目をつむります。
 眠くも無いのにです。
 こうして私たちは、自由から逃げてきました(笑)。

映画「生まれ変わりの村」・・審判をしたがるのは人間だけだ(その12)

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「神との対話」の続きです。
 神は言いました。
「審判をしたがるのは人間だけだ」
 人間は自由が怖いからだと書きました。
 私の目から見ると、高学歴な人ほど審判の世界で生きているように感じます。
 つまり社会の暗黙のルールの下で生きているような…
 社会の明確なルールも暗黙のルールも自分からすれば外側のルールです。
 これはあの世で神が裁くのと似ています。自分が作ったルールではないものに身を任せるのと同じだからです。
 なぜそうなるかと言うと高学歴の人は、嫌いな科目も勉強したからです。
「嫌い」という自分のルールを、社会の「それは必要だ」というルールで塗り替えたからです。
(もちろんそうでない高学歴者もたくさんいます)

映画「生まれ変わりの村」・・審判をしたがるのは人間だけだ(その13)

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「神との対話」の続きです。
 神は言いました。
「審判をしたがるのは人間だけだ」
 人間は自由が怖いからだと書きました。
 スピリチュアル系の人で「高次な」という単語を使う人がいますが、審判の世界で生きているように感じます。
「高次な世界につながる」
「高次な自分になる」
 こんな感じですが、高次は「高」という字がつくので、そういう人からみれば「低」があるわけです。
 自分で審判をしてしまっているわけです。

映画「生まれ変わりの村」・・審判をしたがるのは人間だけだ(その14)

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「神との対話」の続きです。
 神は言いました。
「審判をしたがるのは人間だけだ」
 人間は自由が怖いからだと書きました。
 スピリチュアル系の人で「魂のレベルアップ」という人がいますが、審判の世界で生きているように感じます。
 レベルアップというからには、基準が存在するわけです。
 そういう人からみればレベルの低い人がいるのかも知れません。
 自分で審判をしてしまっているわけです。

映画「生まれ変わりの村」・・審判をしたがるのは人間だけだ(その15)

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「神との対話」の続きです。
 神は言いました。
「審判をしたがるのは人間だけだ」
 人間は自由が怖いからだと書きました。
 カルマについては一度書いたことがありますが、さらに書きます。
 スピリチュアル系の人で「カルマ」という単語を使う人がいますが、審判の世界で生きているように感じます。
 カルマとか因果応報というからには、基準が存在するわけです。
 審判をバリバリ肯定し、それを生き方にまで取り入れているのです。
 そうしないと怖い自由から逃れられないのです。
 神も言っているように、神の世界には審判はないのに、自分で審判をしてしまっているわけです。

映画「生まれ変わりの村」・・審判をしたがるのは人間だけだ(その16)

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「神との対話」の続きです。
 神は言いました。
「審判をしたがるのは人間だけだ」
 人間は自由が怖いからだと書きました。
 自分や他人を審判することで、それでなくても狭い価値観を、さらに狭めてしまうのだと思います。
 そして「高次な世界」とか「魂のレベルアップ」とか言うたびに、今の自分を否定してしまう。
 在るがままにモノを見ることができなくなってしまうのだと思います。
 明日は、先に進みます。

映画「生まれ変わりの村」・・自分が審判をしたがるから神もそうにちがいないと考える(その1)

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「神との対話」の続きです。
 神は言いました。
「あなたがたは自分が審判をしたがるから、わたしもそうにちがいないと考える」
 聖書には、神は自分に似せて人間を作ったと書いてありますが、作られた人間の側は、自分に似せて神を考えている・・と指摘しています。
 特にスピリチュアル系の人で、自分自身の中に神は宿っていると言う人がいます。
 やはりその考え方は傲慢かも知れません。

映画「生まれ変わりの村」・・自分が審判をしたがるから神もそうにちがいないと考える(その2)

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「神との対話」の続きです。
 神は言いました。
「あなたがたは自分が審判をしたがるから、わたしもそうにちがいないと考える」
 まったくこの通りだと思いませんか?
 神を、人間の側から考えて、規定しています。
 祈りも起点は自分でしょう。
 起点をなんとかしなければならないと思いませんか?
 たった一行の神のコメントは、ものすごく大きいと感じます。
(続く)
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