人は何のために生きるのか?397 鈴木大拙の教え
意識と無意識は、意識がつねに無意識と絶え間なく連絡を取っているという関係にある。事実、無意識なくして意識の活動はあり得ないのである。無意識がなければ、意識はその活動の根拠を失ってしまうのだ。禅家で−平常心是道−というのはこのゆえんである。この場合の”道”とは無意識のことである。これが四六時中我々の意識の中で働くのである。
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人々が意識的な心の中に持つことの大部分は虚構であり、妄想であり、人々が真実を見ることができないということは明白である。意識の内容は現実を表現していないということができるだろう。そうすると意識そのものはおよそ、望ましいものではない。
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「平常心」とはなにか、と問われた一人の禅師は即座に「腹が減ったら飯を食い、疲れては眠る」と答えた。こう言えば諸君の中では次のような疑問を持たれる方があるかもしれぬ。”あなた方禅者が言うところの何か非常に不可思議で、しかも人間の生活の中で最も価値のあるもので、それが人間の生活を変化せしめる力となるような、そうしたものが無意識であるならば、われわれにはどうしても腑に落ちないものがある。我々はもっと高次な...
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無意識的であるところの隠された現実があらわにされて、もはや隠されていない、すなわち意識的になる時にのみ、なんらか価値のあるものが得られてくる。
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弟子は続けます”腹が減ったら飯を食うとか、のどが渇いたから水を飲むといったような反射的行為などは赤児でも動物でもやる働きで、別に珍しいことではない。いかに禅と言っても、こんなつまらぬことに大の大人が一生懸命になって、そこに意味を見いだすに足るものと考えているわけでもないでしょう”と。
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この本能的無意識と高次なきたえられた無意識との間に、何か根本的な相違があるのかどうかを考えてみることにしよう。禅師の偉大な師匠は”不生”の一句をもって彼の禅を終えた人である。不生のなんたるかを人に示すために彼は”それ、鳥が鳴いているではござらぬか、花が咲いているのが目に入りませぬか”
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我々はあとに、今はただ我々の意識の中にあるものの大部分が”偽れる意識”であり、我々をこれらの虚構的な考えをもって満たすのは、社会であるということを強調したい。
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師は我々の日常経験のなんでもない事実をただちに指摘して、”これはみな人々が不生を持っているためでござる。いかなる悟りもこれで、整いまする”と言う。この師の言うところを表面的に見れば、我々の感覚の領域と高次のものが、別になんら変わりないということを説いているように見える。
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ある意味、何の変わりも無いと言っても良い。しかし別の面から見ると、これは誤りなのである。不生とは、あらゆるもの、全存在の根源なのである。
View Article33.2度
隣の土丸出しのところは37.1度でした。今度は黒シートのところを測ったら、なんと33.2度で丸出しより4度も低かったのです。これは作物にとっては良いことでしょう。
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