『ワンネス』、『生まれ変わりの村』、そして『和』と、3本ひといきに初めて見ました。
3本立ては初体験で、疲れるかもしれないという不安がどこかにあったのがウソのよう、見終わった直後から今まで、なんだかすわ〜っふくふくと、胸のあたりからいい気持ちになって何か軽くなる、むしろ軽やかさをもらったように感じています。
前回の『スープ』の登場場面もあって、この3本と合わせた4本の映画は、まるで手をつないで楽しそうに踊りながら見る人を迎えてくれているイメージが浮かんだり、4本の映画から流れが作り出され、それはとぎれずどこまでも続いていきそうで、もりけんさんを源に始まっている、その流れに映画を見た私たちは加わっていることを思いました。
なぜこうもふわふわと軽やかないい気持になれるのかを考えていると、自分の内側に抱えている心配ごとに、何か処方されたせいかもしれないと思いました。
マッサージで緊張をほぐすように、智也と容子の陰陽の電子が胸の中にしのびこんで、巣くっている不安を見つけしだい、その流れを逆回転させたり断ち切ってくれたのかもしれない、だから、見る前と後では何かが違っていることを思います。
それにしても、智也と容子は150年間もあの世を調査していた、150年間もの仲というのは驚きました。
飽きないのか・・・と。
いつまで一緒にいても飽きない相手というのは、そうか自分のような相手ということなのかと考えさせられます。
自分のような相手、それがアニマ、アニムスの存在とつながるのかと考えますが、そこに街頭インタビューのすごく愉快なシーンが浮かんで楽しくなります、あれはすごく面白かったです。
好きな人について考えるのはとても楽しいことですが、それが一緒にいられる人とは別でも、考えるだけでも楽しくて、それに目の前にいる一緒にいてくれる人もとても大事で、愛をいうならいろんな愛を感じながら、何度も生まれ変わりながら、人はだんだんアニマ、アニムスに近づいていけるのだろうかなど考えます。
飽きないというのは、気持ちにズレがない、心がぴったりひとつということなのかと、そういう心がひとつになる、なれるということについては、思いついたことすらないので、それがあるのかあるかもしれないと考えることは、初めての経験で、この思いつきひとつについても、これまで全くなかったことが与えられた、心のどこかひとかけらが暖められてふくらんだ感じです。
黄金比について、つい最近、娘と美を感じる源だと話したことがあります。
そこに人は美を感じるようしくまれているのかと思います。
でも、そのうえにさらに記憶の中から、好きだったとか仲良かったとかありがたかったなど、自らの良い思い出の人の特徴を無意識に重ねて、他の誰とも違うその人ならではの美の基準を内蔵しているかもしれないと考えさせられます。
基本の上には無数のバリエーションが生み出されていそうです。
それがアニマ、アニムスにつながっていくのかとも考えさせられます。
グライダーで飛ぶシーンは爽快のひとことです。
佐藤源貞先生ともりけんさんをつなぐものが何か、お二人は何でつながれているかが、スクリーンから伝わってきました。
それは視点とか心の姿勢というように、言葉であらわしてみたいですが、何より、お二人をとりまく空間そのものが物語っていると、見ながら感じさせられます。
もりけんさんの先生に、映画でお会いできてとても嬉しいです。
インタビューで、極真空手の師のお話は、”道”についてから、宇宙人に対する地球代表は誰かという多岐にわたる質問を、みごとに丁寧に語ってくださり、とても感動的でした。
中国や台湾の文献からあの世のスープについて語ってくださった博士のお話もとても印象的で、この方が文学研究されてきたなか、あの世や生まれ変わりに焦点を当てられていたことや、そうしてもりけんさんと出会われた、そのことにも感動しました。
もりけんさんの映画は、これまでの映画とは違う、商業的でもなければファンタジーの提供でもない、これまでの歴史とこれからの歴史のはざまに位置するものだと思います。
娘はコミケやUSJなど、友人と出かけ楽しむのですが、事前チェックのマメさマジメさは感心するほどで、いろいろ資料を取り寄せてはできるだけ取りこぼしのないよう楽しもうと、情報収集に余念なしです。
私は、もりけんさんの映画のくれる情報が、まるでこの世を生きる上で、誰もができるだけ取りこぼしのないよう楽しむための、とっておきの情報集のように感じられます。
遊園地に楽しい施設だけではなく、お化け屋敷があるように、この世にも夢やファンタジーだけじゃない、悲しみや苦しみもあふれていると思います。
それがなぜなのかをもりけんさんの映画は考えさせてくれます。
もりけんさんの映画には、この世を生きるにあたって、これだけは押さえておくといいよという、まるで神からのメッセージのように感じられます。
もりけんさんの不思議研究所は、この世、ワンダーランド不思議の国を、誰もがより良く味わうため、映画から情報を発信されたのだと思います。
科学が物質を解き明かすものならば、科学も押さえ、既存イメージの神ではない神をたったひとり思い続けたもりけんさんは、人という、物質以外の目には見えない心とか魂と言われるものを持つ存在たる人を、誰よりも解き明かすことになったのではないかと思います。
もりけんさんの情報は、人は何度も生まれ変わっては別人になる、何者でもない何者にもなれる存在なのだということと、それゆえ今の自分は今だけのかけがえのない存在であるという、まるで対極のことを考えさせてくれます。
その、誰もにまつわる、自分にまつわる対極の2つをつなぐものに思いはせるとき、そういうふうにしくんだ何か、何かの存在を思わずにいられなくなる、神を感じずにいられなくなります。
3本立ての映画を見て、軽やかなのだけれども、またいろんなことが浮かび上がってきます。
パルテノン神殿も最近思いついたひとつです。
とりとめなくどんどんひろがっていきそうです。
行けて良かった、本当に良かったと思います。
楽しくて、わははと笑いながら見ました。
ありがとうございました。
3本立ては初体験で、疲れるかもしれないという不安がどこかにあったのがウソのよう、見終わった直後から今まで、なんだかすわ〜っふくふくと、胸のあたりからいい気持ちになって何か軽くなる、むしろ軽やかさをもらったように感じています。
前回の『スープ』の登場場面もあって、この3本と合わせた4本の映画は、まるで手をつないで楽しそうに踊りながら見る人を迎えてくれているイメージが浮かんだり、4本の映画から流れが作り出され、それはとぎれずどこまでも続いていきそうで、もりけんさんを源に始まっている、その流れに映画を見た私たちは加わっていることを思いました。
なぜこうもふわふわと軽やかないい気持になれるのかを考えていると、自分の内側に抱えている心配ごとに、何か処方されたせいかもしれないと思いました。
マッサージで緊張をほぐすように、智也と容子の陰陽の電子が胸の中にしのびこんで、巣くっている不安を見つけしだい、その流れを逆回転させたり断ち切ってくれたのかもしれない、だから、見る前と後では何かが違っていることを思います。
それにしても、智也と容子は150年間もあの世を調査していた、150年間もの仲というのは驚きました。
飽きないのか・・・と。
いつまで一緒にいても飽きない相手というのは、そうか自分のような相手ということなのかと考えさせられます。
自分のような相手、それがアニマ、アニムスの存在とつながるのかと考えますが、そこに街頭インタビューのすごく愉快なシーンが浮かんで楽しくなります、あれはすごく面白かったです。
好きな人について考えるのはとても楽しいことですが、それが一緒にいられる人とは別でも、考えるだけでも楽しくて、それに目の前にいる一緒にいてくれる人もとても大事で、愛をいうならいろんな愛を感じながら、何度も生まれ変わりながら、人はだんだんアニマ、アニムスに近づいていけるのだろうかなど考えます。
飽きないというのは、気持ちにズレがない、心がぴったりひとつということなのかと、そういう心がひとつになる、なれるということについては、思いついたことすらないので、それがあるのかあるかもしれないと考えることは、初めての経験で、この思いつきひとつについても、これまで全くなかったことが与えられた、心のどこかひとかけらが暖められてふくらんだ感じです。
黄金比について、つい最近、娘と美を感じる源だと話したことがあります。
そこに人は美を感じるようしくまれているのかと思います。
でも、そのうえにさらに記憶の中から、好きだったとか仲良かったとかありがたかったなど、自らの良い思い出の人の特徴を無意識に重ねて、他の誰とも違うその人ならではの美の基準を内蔵しているかもしれないと考えさせられます。
基本の上には無数のバリエーションが生み出されていそうです。
それがアニマ、アニムスにつながっていくのかとも考えさせられます。
グライダーで飛ぶシーンは爽快のひとことです。
佐藤源貞先生ともりけんさんをつなぐものが何か、お二人は何でつながれているかが、スクリーンから伝わってきました。
それは視点とか心の姿勢というように、言葉であらわしてみたいですが、何より、お二人をとりまく空間そのものが物語っていると、見ながら感じさせられます。
もりけんさんの先生に、映画でお会いできてとても嬉しいです。
インタビューで、極真空手の師のお話は、”道”についてから、宇宙人に対する地球代表は誰かという多岐にわたる質問を、みごとに丁寧に語ってくださり、とても感動的でした。
中国や台湾の文献からあの世のスープについて語ってくださった博士のお話もとても印象的で、この方が文学研究されてきたなか、あの世や生まれ変わりに焦点を当てられていたことや、そうしてもりけんさんと出会われた、そのことにも感動しました。
もりけんさんの映画は、これまでの映画とは違う、商業的でもなければファンタジーの提供でもない、これまでの歴史とこれからの歴史のはざまに位置するものだと思います。
娘はコミケやUSJなど、友人と出かけ楽しむのですが、事前チェックのマメさマジメさは感心するほどで、いろいろ資料を取り寄せてはできるだけ取りこぼしのないよう楽しもうと、情報収集に余念なしです。
私は、もりけんさんの映画のくれる情報が、まるでこの世を生きる上で、誰もができるだけ取りこぼしのないよう楽しむための、とっておきの情報集のように感じられます。
遊園地に楽しい施設だけではなく、お化け屋敷があるように、この世にも夢やファンタジーだけじゃない、悲しみや苦しみもあふれていると思います。
それがなぜなのかをもりけんさんの映画は考えさせてくれます。
もりけんさんの映画には、この世を生きるにあたって、これだけは押さえておくといいよという、まるで神からのメッセージのように感じられます。
もりけんさんの不思議研究所は、この世、ワンダーランド不思議の国を、誰もがより良く味わうため、映画から情報を発信されたのだと思います。
科学が物質を解き明かすものならば、科学も押さえ、既存イメージの神ではない神をたったひとり思い続けたもりけんさんは、人という、物質以外の目には見えない心とか魂と言われるものを持つ存在たる人を、誰よりも解き明かすことになったのではないかと思います。
もりけんさんの情報は、人は何度も生まれ変わっては別人になる、何者でもない何者にもなれる存在なのだということと、それゆえ今の自分は今だけのかけがえのない存在であるという、まるで対極のことを考えさせてくれます。
その、誰もにまつわる、自分にまつわる対極の2つをつなぐものに思いはせるとき、そういうふうにしくんだ何か、何かの存在を思わずにいられなくなる、神を感じずにいられなくなります。
3本立ての映画を見て、軽やかなのだけれども、またいろんなことが浮かび上がってきます。
パルテノン神殿も最近思いついたひとつです。
とりとめなくどんどんひろがっていきそうです。
行けて良かった、本当に良かったと思います。
楽しくて、わははと笑いながら見ました。
ありがとうございました。