トークショーでは西洋と東洋の違いについてお話されてました。西洋では安定した気候があり、日本では不安定な気候でいつ地震や天災があるかわからない。。。その環境に生まれながら住んでると、当然のように自分でいくら目標を決めても一瞬でゼロになってしまう、とても積み上げはできなくて、いつ何が起こるかわからないのが日本であり、そこに住む私たちは先祖代々その環境に支配されて生きてきて、それが日本人のもつ性質にも深く影響してるということ、それは映画で出てきた意識は無意識の支配下か?って問いともつながって、私たちは環境の支配下なのかもしれないとつくづく思いました。西洋ではその反対に安定した気候のなかで努力した分収穫できるように、自分の意識中心で物事はすべて論理的におこってるように見えるから科学も発展してきたのかもしれないんだと思います。そんな西洋と日本との環境の違いから、西洋人と日本人の性質の違いがうまれてきたことにとても考えさせられました。西洋に生まれてたら、きっと私も西洋人の性質を受け継いでると思うし、イエスノーをはっきり言わない日本人の性質には違和感を覚えたりするんじゃないかと思います。科学が全てで、起こる出来事は科学ですべて解明できて、自分の意思で取捨選択できる、そう思ってると思います。西洋人も日本人もそれぞれの環境の支配下だとしたら、その違いの原因は環境の側にあって、その人は結果でしかないんだなって思いました。もりけんさんが言われてきた仮説「私は結果」を、環境という大きな視点から考えることができて、そんな環境にはとうてい太刀打ちできないというか、むしろ環境があって初めて自分が存在できてるってことをすごく感じました。
また、意識はアナロのように線形で現すことができて、無意識はデジタルで一寸先はわからない。。。先が読めないという違いからのお話も出てきました。ばりばり理系ならではの視点を感じました。点をつなぎ合わせたものが物理方程式だというのも、もりけんさんから聞くまで、まったくわかってなかったです。測定した点をつないで線に変えて方程式が生まれたんだと思います。けれど、その点と点の間は限りなく点だとしたら、線形で現される方程式の世界も固定してないかもしれなくて、今まで物理方程式をそんなふうに考えたこともなかった自分にはとても新鮮な視点でした。
そんなアナログ(意識)とデジタル(無意識)を、神が分けた理由についても考えられてました。氷山の一角の例を出されてアナログが海面上に現れた部分だとしたら海面下にひろがる世界はすべてデジタルでそこはすべてとつながってる広大な世界があって、その海面下でコピーされ保存できるようにしたというお話です。保存性というのは記憶のことだと思うけれど、確かに意識で記憶してることなんてほんのわずかで、しかもすぐに忘れてしまいます。現にプレミアム上映会での記憶だって日増しに忘れていってるんじゃないかと感じるし、だからこそこの感想コーナーで書かれてる感想に刺激されて、あーーーって思い出したりすることが多いです。きっと無意識の側には完璧に保存されてるのかもしれないけれど、その無意識のデータから自分で引き出すのは無理で、外側からの刺激があって初めて引っ張り出せるのかもしれないと思いました。無意識は一度記憶したことはすべて保存するしくみを神は作ったんだと思うと、無意識のデジタルな世界にはものすごく膨大なデータが残されてるのかもしれないと思いました。そんな保存性がもしも意識にあったとしたら、ものすごく記憶力がいいというのを超えて頭がパンクしちゃって何だか大変なことになりそうです。だから、意識にはほんのわずかな記憶だけしか与えなかったのも、何というか神の優しさと、すごい仕組みだってことを感じました。無意識の世界はよくわからなくて混沌としてるようにしか感じられないけれど、それはサインがわからないから、混沌としてるようにみえてわからないだけで、その仕組みが解明されたら違ってくるのかもしれません。いまこのHPのメインで問題提起されてる、運命変更に五感がキーになってる仕組みをなぜ作ったのか?という問いも、そんな混沌の世界を解明する問いだと思いました。トークショーでの意識と無意識での問題提起から、さらに毎日ここであたらな気づきや視点が出てきて、毎日問いかけられてます。
また、意識はアナロのように線形で現すことができて、無意識はデジタルで一寸先はわからない。。。先が読めないという違いからのお話も出てきました。ばりばり理系ならではの視点を感じました。点をつなぎ合わせたものが物理方程式だというのも、もりけんさんから聞くまで、まったくわかってなかったです。測定した点をつないで線に変えて方程式が生まれたんだと思います。けれど、その点と点の間は限りなく点だとしたら、線形で現される方程式の世界も固定してないかもしれなくて、今まで物理方程式をそんなふうに考えたこともなかった自分にはとても新鮮な視点でした。
そんなアナログ(意識)とデジタル(無意識)を、神が分けた理由についても考えられてました。氷山の一角の例を出されてアナログが海面上に現れた部分だとしたら海面下にひろがる世界はすべてデジタルでそこはすべてとつながってる広大な世界があって、その海面下でコピーされ保存できるようにしたというお話です。保存性というのは記憶のことだと思うけれど、確かに意識で記憶してることなんてほんのわずかで、しかもすぐに忘れてしまいます。現にプレミアム上映会での記憶だって日増しに忘れていってるんじゃないかと感じるし、だからこそこの感想コーナーで書かれてる感想に刺激されて、あーーーって思い出したりすることが多いです。きっと無意識の側には完璧に保存されてるのかもしれないけれど、その無意識のデータから自分で引き出すのは無理で、外側からの刺激があって初めて引っ張り出せるのかもしれないと思いました。無意識は一度記憶したことはすべて保存するしくみを神は作ったんだと思うと、無意識のデジタルな世界にはものすごく膨大なデータが残されてるのかもしれないと思いました。そんな保存性がもしも意識にあったとしたら、ものすごく記憶力がいいというのを超えて頭がパンクしちゃって何だか大変なことになりそうです。だから、意識にはほんのわずかな記憶だけしか与えなかったのも、何というか神の優しさと、すごい仕組みだってことを感じました。無意識の世界はよくわからなくて混沌としてるようにしか感じられないけれど、それはサインがわからないから、混沌としてるようにみえてわからないだけで、その仕組みが解明されたら違ってくるのかもしれません。いまこのHPのメインで問題提起されてる、運命変更に五感がキーになってる仕組みをなぜ作ったのか?という問いも、そんな混沌の世界を解明する問いだと思いました。トークショーでの意識と無意識での問題提起から、さらに毎日ここであたらな気づきや視点が出てきて、毎日問いかけられてます。