前世の記憶があるという人に対して特別だとか自分と異なる異星人のようだとか思えなくなってきています。前世の記憶があることはスープを飲んだか飲まないかの違いであり、今存在しているすべての人々や動物にもスープがあったという証言からも動物も前世があり、それをただ忘れている状態であるだけだと感じています。森田監督のトークショーで脳に司令塔はなかったというお話を聞いて、脳というものはアンテナのような受信機能があるようなものである感じがしてきました。脳自体には司令塔がなくて、情報をどこからか受信してそれに反応しているだけのような感じになりました。映画「和」では今の日本人の姿がたくさん出てきました。しかし、日本人の生まれ変わりがグローバルだったという証言からのデータもあり、前世が外国人であったとしても、今日本人になっているということであると感じました。そうだとしたら、どの国の人も和の国の人になれる情報が映画「和」のなかに問いという形で存在しているような気がしています。その問いは地球に国境なんてなかったということにつながっていく問いがたくさんあると感じています。そして、脳が受信機能であり、外部や周囲から常に情報を受けて意識として認識しているだけであるとしたら、脳というものが無意識とつながっているということにもなるような気がしています。それはどんな人ももれなくそうであると映画を見て感じました。そしてそう考えてみたら、私という意識の根源がどうやら無意識というとことととても関係しているということになってきて、どんな人にも無意識からのサインや情報が来ている感じがしました。会場での拍手はとても幸せでした、そのことは永久的に無意識が忘れないのではないかと感じています。映画「和」を見ることで、問いがたくさんあふれて、問いを発信することでさらに脳に無意識からの通信が広範囲から届く可能性が開けてくるような気がしました。それは今スープを飲んでしまった私であってもどんな人であっても、いろんな記憶がよみがえったり、広範囲、時空間からの情報が脳に届いて意識にあがってくるのではないかと感じています。映画「和」映画「ワンネス」映画「スープ」この三つの作品を循環させるような映画「和」でもある感じがして、どの映画も必要であり、貴重な情報であり、映画「和」は見た人を98%今が幸せと感じるようになる外側からのサインの映画であるように感じました。問いの大切さと問いを発する好奇心と、幸福感でいっぱいになる映画だと感じました
↧