だんだん脚本が森田監督の最新調査データの仮説論文のように見えてきました。映画の中で前世の容子さんにもアニムスはいたように感じました。そのアニムスが本体である杉本洋子さんが死に際に放った言葉は、アニムスが言わせていたような感じを私は受けてしまい、スープを回避した場合本体が入れ替わっても記憶が続いている私の本体に対して未来に高校生になったときに、巻き込まれて拳銃の暴発で死んでしまうということをアニムスは知っていたからのように感じました。あの世ってきっと高いところねという言葉がサインのような感じがして、そのサインを智也さんは受け取ることができた人であった感じがしました。それで、今しゃべっている何か意識では意味がないような意味づけることができない表出された表現が、未来情報をふくんでいる感じがして、やはり未来は決まっていて、決まっているから意識で意味をつけることができないことがサインとなっている感じがして、スープを回避するということは、そのアニマ・アニムスと未来永劫、時間がくるくるまわっているすべての時間をともに生きることができて、やはり起こる出来事には情報がつまっていてサインがふくまれている感じがしました。アニマやアニムスは時間の中を回転している感じがして、意識だけで感じている時間だけではなく違う次元の時間、回転している時間を感じました
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