突然話題が変わります。
二日間にわたってヘミシンクをやって、気づきがありました。
気づきとはいえ、問題提起です。
ところできょうの映画のブログにはこんな書き込みをしました。
「お客さんにどんなところを見てほしいですか?」
ヒロインは答えました。
「智也が成長してくる様子を見て欲しいです」
実は意外な答えでした。
私は主人公である智也の成長を描いたつもりはなかったのです。
でもヒロインの側からそう見えたことは、とても嬉しいです。
智也は最初、外の世界と切り離されていました。
難しい言葉を使えば、外の世界と疎外の関係だったのです。
疎外というのは愛と正反対です。
垣根を作ることだからです。
でも智也は次第に垣根が取れていきます。
ワンネスは外応の大切さを言おうとしています。
今まで外応を考えるとき、意識と無意識を分けることはしなかったです。
気づけない意識の側に問題があると思われてきました。
けれど、無意識のほうが主体のはずです。
無意識が信号を出して、やっと意識が気づけると思います。
ではどういう意識の状態が外応に気づきやすいでしょうか?
意外にも成長した智也の状態ではないかと思い始めました。
智也は最初、現代風な青年で、ボーとしています(笑)。
そのうちゼロ次元にも慣れてきます。
主体的な面を発揮し始めます。
それをヒロインは「成長」と呼びました。
別の言葉で言えば男らしくなりました。
これは一見、視野を狭めることになりかねません。
でも違うのではないかと思います。
意識と無意識は、お互いにせめぎ合っているかも知れません。
だとれば、意識がエネルギーを得てくれば、無意識もどんどんパルスを出すようになるのではないかと思いました。