あっと思ったときは、失敗をしてしまったあと(笑)。人は反省を繰り返して学んでいくと言いますが、それはデキナイのです(笑)
私、森田健は若いときから反省という単語が辞書にありませんでした(笑)
諦めの境地こそ、次へのステップだと思うのです(笑)
諦めは、手放すことだと思うからです。
諦めたとき、すなわち手放した時、神と繋がれると思います。
自分は自由だと感じていると、歴史は自分が作るものになり、周囲はそのための手段になると思います。
自由を手放した時、初めて「外応」がキャッチできるようになると感じます。
「外応」こそ神からの信号。しかも五感でキャッチできる形で来る。
自分から信号を出してしまうと、外からの信号が打ち消される。だから外応に気づかない。
まさか外の情報が自分に対する未来への情報だとは思わない。
外応は外部からの愛ではないかと思います。エゴに生きているとそれを感じないのかも。
自分が主人公だと思っているから。
目的意識ばかりだから
問いなど、ほとんど発しないから
カルマ論者は自分で直すのが目的の人生だから
そういうことに興味がないから
生理的欲求で生きているから
情報を都合の良いように解釈して生きているから
外応の仕組みは知っていても、生活しているとそっちにドップリになるから
自分の歴史は自分で作り出すものだと思っているから。