映画のところどころで出てくる天秤が、意識の側に傾いたり無意識の側に傾いたり、場面切り替わる前に、次は意識の方が中心に作ってある・・ドラマ・・・、無意識の方へ・・・インタビュー・・、とか、インタビューされるとき、いきなりの答えだったら、とっさに無意識的に答えてしまうからかなあとか思いながら見ました。最初は頭全体が描かれていたのがだんだん脳が大写しになる感じでした。最後の天秤が水平になる場面では、和佳さんの感想はとても深く読まれていると思いました(感想全部なのですが)。意識は無意識の支配下?というキャッチコピーでありながら、水平になっていた、これを何も感じなくてスルーしてた私に、衝撃でした。これはまた問題提起なんだと思いました。和佳さんの感想はとっても面白いです。
最後のスクランブル交差点の混沌とした場面で、ケーキ屋のフランス人シェフさんの静かな口調とフランス語で語られる、日本語の「和」と同じ意味のことばがフランスにはなくて、「和」と言う言葉はとてもいい、「和菓子」ということばもいいというお話が、字幕で流されているのがとても、普通のインタビュー画像っぽくなくって素敵だなあって思いました。これが天秤の水平状態だったのかなと今思い出しています。
最後のスクランブル交差点の混沌とした場面で、ケーキ屋のフランス人シェフさんの静かな口調とフランス語で語られる、日本語の「和」と同じ意味のことばがフランスにはなくて、「和」と言う言葉はとてもいい、「和菓子」ということばもいいというお話が、字幕で流されているのがとても、普通のインタビュー画像っぽくなくって素敵だなあって思いました。これが天秤の水平状態だったのかなと今思い出しています。