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映画は是非、7月7日か8日に行って下さい

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 昨日、映画会社の人が来て言いました。
 
「初日の二日間で『その後』が大きく変わります。なのでこの映画が歴史を変えるとすれば、最初の二日間です」
 
 映画館は一定期間後に次の映画に切り替えます。それをいつにするかは、初日の二日間のお客の入りで決めるそうなのです。二日間の入りが良ければ、興業は延びるらしいのです。
 
 さて、昨日から今日にかけてツイッター等には次のことを書き込みました。
  
きょうから、「裁き」と「カルマ」についての話題に入ります。一般的に宗教ではあの世には裁きがあり、悪いことをした人はそれがカルマとなって来世に響くという考え方があります。精神世界でも同様に言われるときが多いです。
 
生まれ変わりの村で最初の証言者に質問しました。「あの世に人生を反省するような場所はありましたか?」実はこの質問をするだけでノドがカラカラです。「裁きはありましたか?」と直接聞けません。
 
裁きに対しての質問に何故緊張したのだと思いますか? 僕が不思議なことへの調査を始めるきっかけは高校時代に物理の方程式に神を感じたからです。方程式は誰にでも平等に働き美しいと思いました。裁きがあるとすれば、その美しさが崩されるからです。
 
もしもあの世に裁きがあるのなら、僕にはしたいことがありました。死んだとき刀を持って神のいる部屋に行き、裁きをしている奴を突き刺すことです。その前に取り押さえられたら叫ぶつもりです。「僕をこの時空から抹消してくれ」…と。
 
だから生まれ変わりの村での最初のインタビューは、僕の人生を賭けていたとも言えます。裁きがあるのか無いのか……。宗教の世界で言われてきたことへの回答を、目の前の証言者が持っていました。
 
最初の証言者がすべてだと思いました。なぜなら審判は抜き打ちではないと思うからです。審判ではなく、評価だってあり得ます。徳を積んだ人は次のステージに行けるかも知れないし、そのための評価が待っていると思いました。
 
「死ぬ瞬間、生まれてからそれまでの人生のパノラマを見ましたか?」「そんなの、見ていません。死んだ直後から新しい展開がどんどん始まったからです。パノラマなんて見ている暇はありません」「前世を反省するような場面は、ありましたか?」「それもありません」
 
証言の続きです。「今世に生まれるとき、家や両親を選択してきましたか?」「何かにコントロールされていたような感じは、まったくありません。しかし、私の考えで選択をした感じでもありません」
 
以上の証言からどう感じましたか? あの世はこの世の付属物ではない…と感じられませんか? 人生のパノラマを見たり、それに対する審判があったとすれば、あの世はこの世の付属物のようです。
 
証言を聞き、僕はグッタリと全身の力が抜けました。僕は16歳で神に恋をしました。神はすべてのものを自分の価値観で動かすことはしない。物理方程式のように平等だ。証言で神への恋が破られることはありませんでした。
 
 書き込みは以上です。
 
 最初のたったひとりの証言が、たぶん世界を変えることになると思います。
 なぜなら、宗教による「救い」は無いからです。
 
 たった一言の念仏を唱えるだけで良いと言った親鸞は革命的でした。
 なんの修行も不用だと言ったからです。
 
 でも、それすら不用でした。
 
 ブラックボックスだったあの世が姿を現しました。
 臨死体験や体脱は、生死のサイクルを回ったわけではありません。
 
 生まれ変わりの村の人たちは、ある意味、生死をかけてきました。
 その体験談を一笑に付すことこそ、ノアの箱船に乗ろうとする行為だと思います。
 
「いや、審判はあるはずだ」
 
 とか言いながら・・



 
 

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