私たちの多くは、知っているつもりになっているのではないかと思います。
たとえば、あの世や来世のことです。
生まれ変わりの村で私が一番エネルギーの必要だった質問は
「裁きはありましたか?」
「カルマのようなものはありますか?」
でした。
裁きについては、何人もの人がきょとんとした顔で「ないです」答えて、それ以後、その質問はやめたほどです。
カルマについては、罪を犯した人、自殺した人が必要でした。
5人の自殺した人に会うことができて、それぞれ言いました。
「自殺で死んでも、普通にみんなが行くあの世に行けました。そして今は幸せに暮らしています」
今のところ、カルマは見当たりません。
けれど罪を犯した人も自殺した人も言いました。
「もう罪を犯したくないし、自殺でも死にたくない。なぜなら前世を覚えているので、次はちゃんとした人生を思い出として残したいです」
他の存在からの裁きではなく、時空の価値観から切られることを意味するカルマではなく、自分史としてステップアップしているのです。
今まで言われてきたことと、ずいぶん違いました。
人間は知っているつもりが好きなのではないかとも思います。
それが土台になり目標も作れます。
持論をぶちかますこともできます。