実はある時期から、自分に対するイメージを次のように感じていました。
「森田君は出たがり屋で、目立ちたがり屋」
(爆)
どうもそれは違うんじゃないかと思い始めました(笑)。
高校時代、自分から進んで意見を言うということは、なかったと思います。
何かに立候補したこともありません。
三両目前のコミュニティにしても、僕だけで成立するものではなかったはずです。
僕は触媒だったと思います。
けれど、一面において、僕はかなり積極的な部分も持っています。
ただ、それは内面の実現のためなのでしょうか?
5月12日は講演会です。
そこで僕は「オンリーワン」になるわけです。
しかしデータがオンリーワンなのであって、僕の内面がオンリーワンではありません。
なのでデータがなければ、僕は講演会はしません。
「生まれ変わりの村」が映画になりますが、僕の功績など、本当に少ないです。村を僕が発見したわけでもなく、僕が被験者を捜したわけでもありません。
生まれ変わりの村はトラさんの故郷で、そこに行けば、協力者たちが探し出してくれていました。
僕は苦労していません(爆)
そして、講演会ではそのデータが主役です。
データを用意したのは神(運命)だと思っています。
人は何に向かって生きるのでしょうか?
内面の実現(自己実現)だとすれば、僕はそれに乗りたくありません。