きょうは前世記憶者の並木由紀さんの言葉です。
「私は、小学校の低学年のときから、フランス刺繍や編み物は習わずに自然とできましたが、料理はできませんでした。包丁が、食材を切るものではなく、人を切るものにしか思えなかったため、怖かったのです。
私は何度もの前世で、戦争の中で刃物で殺されたこともたくさんありますし、逆に殺したこともたくさんあります。
これを今までの宗教やスピリチュアルの考え方だと、カルマと呼ぶのではないでしょうか。
殺したから、殺された。
殺されたから、殺した。
と。
だから、その業を負っているから、包丁が怖いのではないかと脅す人もいるかもしれません。
しかし、これは単に思い出が重なっただけにすぎません。
私は今でも包丁は使えませんが、苦手なことに努力し続けて取り組むよりも、最初からできる才能を伸ばしていき、さらにそれを憶えておいて、また次の人生で活用する方が、自分にとっても、社会にとっても効率的ではないでしょうか?
人は一人で生きているわけではないので、全員が算数も国語も体育も家庭科も、全教科平均的に得意である必要はまったくないと思うのです。
得意な人が得意なことを分担していけばいいだけです。
本来そうするために、前世記憶はあったのではないかと思いますし、前世記憶をなくさない方法も、そのために伝わっていたのではないかと考えます。
そうできなくなってしまったために、人類が退化してしまったように感じられてなりません
森田健のコメント
「生まれ変わりの村」では前世で殺された人をインタビューしました。生まれ変わり、殺した人はまだ生きていましたが復讐する気はなかったそうです。なぜなら殺された人本人はこうして生きているのですからと言いました。
私のコメントを追加します。
「思い出が重なっただけ」…すごい言葉です。カルマだの因果応報だのとまつりあげる必要はないのです。カルマ論者はそうやってまつりあげて、今ここから逃げているのだと感じます。