今、運命は決まっていないという仮定のもとに進めます。
先日、小田急線の多摩川の鉄橋の下で撮影しました。
ゴムボートを浮かべて葉と蓮を撮影するのです。
流れがないのでバシャバシャと手で漕ぎました。
すると釣り人たちから
「いい加減にしろ」
と怒鳴られました。
私は聞こえないふりをして続けました(笑)。
そのうち腕章をした市の職員が腕組みをして私を見ています。
ヤバイな・・
バシャバシャ(笑)
岸に上がると職員が来て言いました。
「あなたをずっと見ていたのは、こんなに楽しそうに仕事をする人を見たことが無かったからです。感動しました」
「でも釣り人に迷惑をかけてしまいました」
職員は大きな声で言いました。
「川はみんなのものです。釣り人だけのものではありません。自由です」
自由ですって(笑)
多くの人は怒鳴られた時点でその行為を中止するのではないでしょうか。
「自由」だから逆に人に迷惑をかけてはいけない・・と。
しかし私がなぜ「自由」に振る舞えたのか、それは運命論者だからです。
先日、小田急線の多摩川の鉄橋の下で撮影しました。
ゴムボートを浮かべて葉と蓮を撮影するのです。
流れがないのでバシャバシャと手で漕ぎました。
すると釣り人たちから
「いい加減にしろ」
と怒鳴られました。
私は聞こえないふりをして続けました(笑)。
そのうち腕章をした市の職員が腕組みをして私を見ています。
ヤバイな・・
バシャバシャ(笑)
岸に上がると職員が来て言いました。
「あなたをずっと見ていたのは、こんなに楽しそうに仕事をする人を見たことが無かったからです。感動しました」
「でも釣り人に迷惑をかけてしまいました」
職員は大きな声で言いました。
「川はみんなのものです。釣り人だけのものではありません。自由です」
自由ですって(笑)
多くの人は怒鳴られた時点でその行為を中止するのではないでしょうか。
「自由」だから逆に人に迷惑をかけてはいけない・・と。
しかし私がなぜ「自由」に振る舞えたのか、それは運命論者だからです。