「神との対話」の続きです。
神は言いました。
「あなたがたは自分が審判をしたがるから、わたしもそうにちがいないと考える。だが、私はそうではない−これは偉大な真実だが、あなたがたには受け入れられない」
学生時代に「禅と精神分析(鈴木大拙・エーリッヒフロム著)」を読みました。前回はフロムの言葉でしたがきょうは鈴木大拙の言葉です。
「キリスト教系の人々は、歴史的因習すなわち−”神−人、人−神”というものに執着している限り、人格の二元性から抜けだすことができないのだ。この二元的な相克、それに伴う不安の感情のために、キリスト教的人間はあえて危険を冒してまで空間の中に飛び出していくのだ。知性の表面に映ずる二つのものの相克をなんとかして調和せんものと力を尽くすのである」
不安感情とは、成長しなければならないという意識です。
ダメな自分から良い自分に・・
低次元の自分から高次元に自分に・・
だから「あなたがたには受け入れられない」と言っているのでしょう。
神は言いました。
「あなたがたは自分が審判をしたがるから、わたしもそうにちがいないと考える。だが、私はそうではない−これは偉大な真実だが、あなたがたには受け入れられない」
学生時代に「禅と精神分析(鈴木大拙・エーリッヒフロム著)」を読みました。前回はフロムの言葉でしたがきょうは鈴木大拙の言葉です。
「キリスト教系の人々は、歴史的因習すなわち−”神−人、人−神”というものに執着している限り、人格の二元性から抜けだすことができないのだ。この二元的な相克、それに伴う不安の感情のために、キリスト教的人間はあえて危険を冒してまで空間の中に飛び出していくのだ。知性の表面に映ずる二つのものの相克をなんとかして調和せんものと力を尽くすのである」
不安感情とは、成長しなければならないという意識です。
ダメな自分から良い自分に・・
低次元の自分から高次元に自分に・・
だから「あなたがたには受け入れられない」と言っているのでしょう。