「神との対話」の続きです。
神は言いました。
「あなたがたは自分が審判をしたがるから、わたしもそうにちがいないと考える。だが、私はそうではない−これは偉大な真実だが、あなたがたには受け入れられない」
学生時代に「禅と精神分析(鈴木大拙・エーリッヒフロム著)」を読みました。その中に次のくだりがありました。
「個人は彼の文化の型と相容れない思想や感情に気づくに耐えないのでそれを抑圧せざるを得ないのである。形式的に言うと、それゆえに無意識的なものと意識的なものとは社会の構造とその生じる感情や思想の型に依存している」
前回は鈴木大拙の言葉でしたがきょうはエーリッヒ・フロムの言葉です。
彼はフロイトの弟子です。ちなみにもうひとりの弟子がユングです。
フロムによれば、審判という思想が社会の文化の型だと、それと相容れない思想は抑圧してしまうのです。
だから「あなたがたには受け入れられない」と言っているのです。
神は言いました。
「あなたがたは自分が審判をしたがるから、わたしもそうにちがいないと考える。だが、私はそうではない−これは偉大な真実だが、あなたがたには受け入れられない」
学生時代に「禅と精神分析(鈴木大拙・エーリッヒフロム著)」を読みました。その中に次のくだりがありました。
「個人は彼の文化の型と相容れない思想や感情に気づくに耐えないのでそれを抑圧せざるを得ないのである。形式的に言うと、それゆえに無意識的なものと意識的なものとは社会の構造とその生じる感情や思想の型に依存している」
前回は鈴木大拙の言葉でしたがきょうはエーリッヒ・フロムの言葉です。
彼はフロイトの弟子です。ちなみにもうひとりの弟子がユングです。
フロムによれば、審判という思想が社会の文化の型だと、それと相容れない思想は抑圧してしまうのです。
だから「あなたがたには受け入れられない」と言っているのです。