もりけんさんのトークショーで、裁判のお話しになったとき頭に浮かんだのは、映画「ワンネス」の、拙者は間違えて刺されて死ぬののシーンです。あの時会場で笑いが起こり、私も笑っていました。そして、死ぬときにこんな風に死ねたらなと憧れのような気持ちが出て、人が刺されて刺した人も斬られて死んでしまいますが、それは智也さんが忘却のスープを回避して生まれ変わって、どんな風に死んだのかを本人が答えているから、死んでも今また生まれ変わって生きて可愛らしい高校生になって、間違って刺して来た女性も、容子さんになって生まれ変わり、2人の出会いのきっかけが刺されて死んだという出来事だったと思いました。というわけじゃ。と智也さんは答えていました、近藤勇覚悟と叫んだ声が後方から聞こえたと思ったら女が後ろから飛び込んできて、なにがなにかわからないままで、あれを避けるとかできないと感じました。中田さんのぶつかった暴発でも、中田さんが犯罪者だとか、誰も思えなくて私も周りの方々も映画を見て泣いていたと思いました。私はテレビや新聞などで、誰かが殺されましたとか刺した犯人はこの人ですとか見たら、指名手配の張り紙とかも見ますが、自分の近所にいたらいやだとか勝手に相手を悪人だと思い込んでいたと思いました。もちろん殺された側の家族にとってどれほどつらいかは本人でしかわからないと思います。しかし、あまりにも自分が被害者の側の視点しかなく、加害者の側の気持ち加害者の家族、加害者のその後の人生を自分のこととして考えて来なかったと思いました。生まれ変わりの村の情報が本になり、死後も裁きがなかった話はほっとしました、そして、神様でさえ人間を裁かないのに、結果である人間が同じ結果である人間をどうして裁くことなどできるのだろうという問いが沸き上がりました。宇宙人がいて交流が始まって、変わる変わらない変わらないでいてほしい全く変わるんじゃないかなどのいろんな意見があり、そこで感じたのは、生まれ変わりの村の情報や映画「ワンネス」映画「スープ」すべてはもりけんさんの調査データがあり、生まれ変わりの村の方々が命懸けで話してくださった、実体験の証言があったから、映画「スープ」が生まれ、映画「スープ」から映画「ワンネス」が生まれ、映画「ワンネス」から映画「和」が生まれたように感じ、その根源にはもりけんさんの実際の体験や調査データがあるから、映画「和」は、もう一度、法律や裁判を考え直すきっかけになり、その根源にあるものに問いが出てしまい、何度も何度も映画を見ることで被害者の視点だけではなく、加害者の視点、他人事ではない視点、すべての出来事をそうしてるシステムに対する問いが溢れてしまう映画ばかりだと感じます
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